転嫁

「○○のおかげ」といったら、何になるだろうか。
神さま、自分、社長、みなさん、森羅万象、オリゴ・・・。
こんなところか。
一方、「○○のせい」といったら、何になるだろうか。
・・・?。
入れようと思えば、あることはある。
あいつ、朝青龍、花・・・。
しかし、「おかげ」にされるやつほど、汎用的な「せい」にされちゃうやつはいない。
どうやら、「○○のせい」を考えるとき、人は漠然としたものに対しては責めることはできないようなのだ。
例えば、何か思いもよらないいいことがあったとき、「神様のおかげ」というのは、それほど変なことではない。
しかし、何か思いもよらない悪いことがあったとき、「神様のせい」とはあまり言わない気がする。
その悪い出来事の詳細を一つ挙げ、その原因に対して「○○のせい」と言うだろう。
これでは、何かのせいにしてもいい事を、何かのせいにしにくい場面も増える。
悪い出来事が詳細に分析できるとは限らないからである。
そしてそれは、ストレスになる。
だから、何でもいいから責任を受け持ってくれる何かを生み出したほうがいいのではないだろうか。
「嶋井さん」。
例で嶋井さんを考えてみよう。
この世の全てのいいことが「神様のおかげ」であり、「みなさんのおかげ」であったとしたら、悪いことは全て「嶋井さんのせい」である。
固有名詞としては扱われず、「なんだよー。電車遅れてるよー。嶋井さんのせいだよー。」といった使
われ方をする。
全ての責任を、曖昧にではあるが、受け止めてくれるのだ。
・・・やっぱ、人の名字はだめだよな。
「殿」はどうだろう。
「あー、サイフ忘れてるよ・・・。殿のせいだよな。」
何か力がありそうな分、責任転嫁のしがいがある、ような気がする。
「地球防衛軍」はどうだろう。
・・・あー、だめだ。
地球防衛軍は、ほんとうに「せい」であることが、多いや。

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