コピー

「一戸建ての方が、地球に近い。」
うーん。
なかなかなコピーな気がします。
しかし残念なことに、僕は広告やら建築やらには明るくなく。
こんなのが頭に浮かんでも。
これでブログ更新を1日持たすってのも、どうも。

泣きたがる見せたがる

本日のディスカッション
「近頃の、泣きたがりについて」
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中略
?結構前から、泣けるモノがひとつのカテゴリになってるよね?
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「なんだか、みんな泣きたがっているんだよね、さっこん。」
「お。昨今って、ひらがな読みすると、なんかかわいいね。」
「お前、ひらがな読み、どのくらい練習したらできた?。」
「確かにうまいね。ちゃんとひらがなになってるもん。」
「ひらがな読み、とりあえずよくね?」
「そうだった。みんな泣きたがっていることについてだった。」
「それ、部活動として考えてもいいのでしょうか。」
「もちろん。」
「面白いのは、ただ泣きたがってるだけじゃない人が、少しいるんだよね。」
「と、言うと?」
「泣いてるのを見せたい、って人もいるんだ。」
「そんな人、いるか??。」
「もちろん、ほとんどはそうじゃないよ。素直に、どうしようもなく泣けてきて、結果見られちゃった、みたいな。」
「普通、そうでしょ。」
「でも、例えば映画なんかを見に行くとき、誰かと一緒だったら、そりゃ泣くのを見られる危険性をはらんでいるわけだよね。」
「危険、って。」
「これはやっぱり、単に感動する、泣く以上の、何かを求めようとしているよね。」
「お前、やなヤツだな。」
「10年来。」
「君、年来の使い方、少しへんかも。」
「ただ泣きたいだけなら、アイテムを手に入れて、一人で堪能すればいいんだし。」
「泣きたいなら、夜に湖に出かけて、その岸辺で一人、月明かりを浴びながらしろよって、テレビで大竹まことが言ってた。」
「そうかもしれないけどさ。でも、そういう映画を誰かと見るときにはさ、互いに泣く見るどうこうの考えなんて抜き、でいいじゃない。」
「そうだけどね。確かに十分。でもそれも、さっきの「何かを求める」の「何か」、によると思うよ。」
「うん。その何かが「悲しいの→なぐさめてよね」だったら、愛いヤツ!!となるけど「悲しいの→涙が出るの→腹が減るの→ディナー」とかだったら、ちょっとやだね。」
「そういえば、泣いたあとはなんだか腹減るよね。」
「よく、泣きながら大盛り定食を食べてる人、いるもんね。」
「いるか?。そんな漫☆画太郎に出てきそうな人。」
「ちょっと、出し入れ激しすぎね?」
「同意得られないんだね。泣きながら大盛り定食を食べてる人って。」
「同意が得られていないのは、部長です。」
「・・・うっ。そ、そんなことないだろ。捕らえ方の違いだろ。」
「すいません。間違えました。」
「・・・。」
「いつも同意が得られていないのは、部長です。でした。」
「・・・・・・うっ。うっ。」
「まぁ、そんなことまで涙で求める人も、そんなにいないでしょ。」
「そうかもね。」
「となると「泣きたがる見せたがる」の関係はアベックにとって、ちょっと進んだコミュニケーション法なのかもね。」
「アベックって。」
「じゃあ、対。」
「君、じゃあの使い方、少しへんかも。」
「うっ。うっ。」
「・・・でも、それは対、2人までの話しだなぁ。」
「副部長まで、対って。」
「確かに3人以上でその「泣きたがる見せたがる」がいると、少しめんどいな。」
「うん。そして。」
「うっ。うっ。」
「見せたがってないのに泣いてるってのも。」
「・・・だね。」

飴色伝言板

駅には、もう伝言板なんてないのかな。
最後に見たのも覚えてない。
とかいって、まだあったりしたりして。
まぁ、そのくらい意識していないわけだ。
ところで、大人になったら、黒板に触れることなんてあまりないはず。
だから、伝言板なんてあると、懐かしい。
学生時代を思い出したのか。
駅の伝言板を指でなぞる。
指先が薄くしろづく。
伝言板を夕日が照らし、二分する。
めがねが赤く染まる。
そんなサラリーマンを見たことが、あるでしょう。
お父さんの指先がチョークまみれだったことが、あるでしょう。
あんなこと、こんなこと、あったでしょう。
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よくわからない流れですが、僕には、なんとなく「これ伝言板に書いてあったらよかったなー」というものがあります。
1.
用件欄・・・○○中学校○組 卒業おめでとう!!
名前欄・・・生徒一同
2.
用件欄・・・選挙当選発表時、当選者欄につけられるバラ
名前欄・・・当選者
3.
用件欄・・・正子 例の件 全て済んだ 連絡くれ
名前欄・・・父
4.
用件欄・・・今日の日付と「日直」
名前欄・・・駅員名
5.
用件欄・・・冠婚葬祭でお悩みの方に
名前欄・・・株式会社 不死オリエンタル
6.
用件欄・・・昨日の巨人戦 勝敗
名前欄・・・残りゲーム数
7.
用件欄・・・正子 豚ばら肉 卵 にんじん
名前欄・・・母
8.
用件欄・・・今日の受け渡し場所
名前欄・・・駅前噴水そば
とりあえず、こんな感じ。
こうみると、学校関連がありますね。
やっぱり、ですね。
伝言板は、どうしても懐かしさを感じさせるものなのです。
それは、誰だって同じことなんだよ。
ほら、お父さんの指先がチョークまみれだったことが、あるでしょう、正子。

低姿勢行進、続々。

【あらすじ】
サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあとに家がぐいーんぎゅぽーんとなる。
何が起きているんだ。
◆憶測1
家の奥のカベと天井にスイッチがあり、帰宅時に押さないと家が爆発する仕様だった。
◆憶測2
家の中がスポンジで満たされていた。
============
考えてみた。
◆3.サザエさんが玄関先で転んだ。
今、調べるのもめんどいので確認できていないが、確かサザエさんが先頭で家に入っていた気がする。
そして、彼女は家の中に入る間際まで、後ろ向きに歩いて、皆を先導していたように思う。
それで、足が疲れてしまったのだろう。
サザエさんは玄関で転んでしまうのだった。
そこに、あとから続いて家族が入ってくる。
それは、次々と押し寄せるのである。
結果、彼らはサザエにつまづき、続いて転倒。
波に乗った船の上に、鰹や鱈が。
大漁である。
大漁が家の中で起きた結果、あのような家の動きとなるのだ。
◆4.玄関のスリッパが固定されていた。
これは「ガキの使い」罰ゲームでもやられていた、秀逸なイタズラである。
サザエさんが家に入る。
あとから続いて家族が入ってくるのだが、サザエさんは玄関に用意されていた、固定スリッパを履こうとしてしまうのである。
そんなスリッパを履いてしまうと、どうなるか。
人間(サザエさん)はスリッパを履くとき、まさかそいつが動かないとは思わないので、履くのと同時に、歩くために体を前に移行させてしまう。
結果、重心は前に移行したが、足はスリッパストップなので、サザエさんはつんのめってしまう。
大漁である。
大漁が家の中で起きた結果、あのような家の動きとなるのだ。
以上、好きな憶測を心に抱いておいてもらいたい。
正解は、君の心の中にある。
ところで、今回の憶測から、ある問題点がポイントである可能性が出てきた。
それは「どんどん家族が家に入っていってしまう問題点」である。
もう少し様子見つつ家に入っていれば、憶測のほとんどは回避できるのだ。
あくまで憶測なのだが、みんなも家の中に入るときは、玄関前で「そこにいるのはわかってるんだぞ!!」と叫んでからの方がいい。
最後に、
憶測5として「牧歌的な家は、案外ああいう動きをする」
憶測6として「なぜかわからないが、サザエさんが入ってくる者たちを投げ飛ばし続けた」
憶測7として「家獣」
を挙げておくことにする。
おわり。
追記
「つんのめる」と「ノンスメル」が似ていた。

低姿勢行進、続。

【あらすじ】
サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあとに家がぐいーんぎゅぽーんとなる。
何が起きているんだ。
============
考えてみた。
◆1.家の奥のカベと天井にスイッチがあり、帰宅時に押さないと家が爆発する仕様だった。
この憶測は、例の家動作が、一家が自発的に行った行為の結果である、という位置づけを重視したものである。
すなわち、スイッチを一刻も早く押すため、家族が全力でそれにあたった結果、家があーなったのだ。
この憶測が有力である証拠に、その後の家はちゃんと爆発していないことが挙げられる。
◆2.家の中がスポンジで満たされていた。
家に帰ったら、これだよ。
誰?、こんなに散らかしたの?。
このような程度でない量のスポンジが、家に詰められていたとする。
玄関を開けたら、面前にスポンジ。
当然、むぎゅーっとなる。
横方向に、むぎゅーっ。
え、まだ家族、入ってくるの?。
縦方向にも、むぎゅーっ。
つづく。

低姿勢行進

今気になることに「サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあと、何が起きてあーなって(家が上下左右に大きく揺さぶられる)しまうのか」がある、と言ったら、正直うそになってしまうが、まぁ昨今においても風呂場のかびのように根強く残るトリビア事情に何かしら好影響を与えるのではとの考えにより、考えてみる。
すでに誰か何かしていたら、ごめんなさい。
この問題は、ほぼ「あんなに仲よさそうに行進していた一家だったが、家に入るやいなや、瞬間で動的になった謎」として置き換えられる。
例えば、家に入る前まで、一家の雰囲気が悪く、いがみ合っているようであるなら「家に入った途端、怒りで頭が真っ白になったんです(マスオ談)」というような事態を考慮することにより、この問題、ある程度の憶測を立てることができる。
しかし放送を見る限りは、そんなこともなさそうなのである。
何が起きているんだ、一家に。
ここで、なんとなく思い出されることを記す。
「ビックリハウス」という雑誌、じゃなくて遊園地的アトラクションをご存知だろうか。
一見、普通の家で、入ってみるとイスがある。
そこに座ると、次第に家全体が揺れだし、ラスト間際では家全体がイスを軸に回ってしまう。
そんなだ。
錯覚が引き起こす不思議なアトラクションだが、幼い頃これに乗った僕はそんなことはわからず、回っている最中、子供ながらに「もうここから出られないんだ」と覚悟を決めたものである。
僕の感想はどうでもいい。
もちろん、磯野家がそんな遊具である可能性は皆無で、結局そうだったとしても、家はあれほどぐいーんぎゅぽーんとはならない。
もう一度。
何が起きているんだ、一家に。
家で何が起きているかについては次回考えることにするが、とりあえず明言する。
次回、面白くは転がらなさそうです。

ブイヨンの憂鬱、3。

【あらすじ】
昔の地球。
生物がはじめて誕生したのは水中、原始スープ内だった。
って、なんだ気になるなおい、原始スープ。
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人類代表として、恥ずかしながら申し上げさせていただくが、原始スープって、なんだかである。
詳細を知らない人が原始スープと聞くと、ひげもじゃ豹柄ムームーの原始人が食す、砂利の混じったマンモス肉のスープと考えてしまうに違いない。
しかし、その前に、とにかく言葉がだめなような気がする。
「スープ」か。
「スープ」がいけないのか。
と、ここにきて、我々ははじめてこの言葉を日本に紹介した人の苦悩を知ることになる。
「原始汁」
こいつはいけない。
無理やり訳すのも考えもの。
彼はそう思ったに違いないのだ。
「なんだ、スープのときより、なんだか砂利が入っていそうじゃないか。」
そう思った人、いないだろうが、残念。
この言葉が目指すのは「でかい肉から出たアクの層ができている、岩塩で塩辛くなったスープ」ではなく、生命誕生の奇跡を担う液体の名、なのである。
「スープか、汁か…」
吉田戦車の漫画を読んでいるなら、彼がどちらを選択するかは明白である。
前回より責めていたが原始スープ、これはこれで最善のネーミングだったのかもしれない。

ブイヨンの憂鬱、2。

僕はブイヨンと聞いて、それ自体にはそれほど詳しくないのだが、ひとつだけ思い出すことがある。
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地球。
海は水を湛えていたが、その中にすら生命はいないよう。
だいぶ昔の地球だ。
しかし、何か不思議なことがいろいろ起こり、アミノ酸が誕生。
それが水に溶け込み、これまた何か不思議なことがいろいろ起こり、ちっこい細胞みたいなものが発生したらしい。
これはどのように生命が誕生したのかという疑問に対する有力な答えとなる説のひとつである。
ちなみに、その頃の、アミノ酸が溶け込んだ水や海のことは原始スープと呼ばれている。
そのアミノ酸の濃度は数%で、4?5リットルの水にブイヨン1個を溶かし込んだくらいのものだった。
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長かったねブイヨン。
こんな話を本で読んだことがあり、ブイヨンと街中で聞くたびに、この話が頭に浮かんでくるのだ。
さて、この話で最重要ポイントがあるとすれば、どこだろう。
美しく濁したアミノ酸の合成箇所か。
同様に美しい、最初の生命が発生したところか。
もちろん、違う。
当ブログでは、両方ともお手上げテーマだ。
特に後者のは、足も上がる。
そして最重要ポイントは、タイトルにもある、ブイヨンですらない。
そりゃあなた、「原始スープ」ですよ。
確かに、ブイヨンの例えとか、気になる点は他にもある。
でも「原始スープ」の方が、強い。
明日はこれをいじる。

ブイヨンの憂鬱

井の中の蛙、大海を知らず。
よく知られたことわざだ。
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何やってんだよ、蛙。
もっと大局的な視野を持とうぜ。
グローバルに物事考えようぜ。
世界は、もっと大規模に回ってんだよ。
俺、こんなところでは終わらないから。
今、充電中なんだよ、充電。
あっお前、メロンばっかり取りすぎじゃね?。
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ことわざの意味を、だいたい40パーセントくらいは表せているのではないだろうか。
ここで、このことわざを言い換えてみよう。
鍋の中のブイヨン、大海を知らず。
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別にいいじゃねぇか、なぁブイヨン。
広ければいい、ってもんじゃないよ。
鍋の中だって、重要だよな。
海、あぶないらしいし、海。
え、お前、まさか海に行くんじゃないだろうな。
だって、お前、海じゃ、さすがに希釈されすぎだろうが。
いないのとほぼ同じなんだぞ。
うん、大丈夫だって。おいしいって。
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蛙もブイヨンも、ほどほどがんばれ。

露出、強。

夏の町で出会った人の中で、一番露出度の高かった人物。
それは残念ながら女性ではなく、おじいちゃんでした。
そんな事実を今思い出し、愕然とする男性が案外多いのではないか。
「確かにそうだった。かなりセクシーな女性もいたが、かなりセクシーなおじいちゃんもいた。」
おじいちゃんは女性に対して、防御する箇所が少なくて済むため、どうしてもセクシーさで、優位だ。
しかも、本人は露出度のことを意識していない。
天性の悪っ子である。
ただ、救いというか、残念というか。
助かるところは、まず誰もおじいちゃんにドッキーンとならないことである。
そんな人ばかりだったら、もう「えの素」だ。
しかし、ドッキーンとしてしまう人もいるはずだ。
そんな人は、町中で一瞬たりとも油断してはならない状態が続くことに。
多くの無関心と鋭く細い緊張のはざまに、半裸おじいさんはいる。