卒業文集 1番

卒業文集
1番 あるかとらず
ぼくがいちばん、学校生かつで心にのこったことは、えん足のときに、いいじまくんに「おまえ、もっとひらいていこうよ」と言われたことです。
ぼくはわかりませんでしたが、みんなはぼくのことを「ひらいていない。むしろ、出ていこうとしているものをおさえている」といって、さけます。
いいじまくんは、おかあさんにぼくのいえにあそびに行くことを話したら、かえってこられなくなるから止めなさいと言われた、と言いました。
うちのおかあさんにそのことを話したら、そうなった人もいるけど、それはしょうがない人だから、しょうがないのよ、と言いました。
ぼくはこれから勉強して、しょうがない人が来ないようにしていきたいとおもいます。

耳書き忘れ故意説・続

つづき。
【あらすじ】
「耳なし芳一、耳書き忘れ故意説」について。
なぜ小僧は耳にお経を書かなかったのか。
諸説紛々な本日の授業。
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じゃあ、昨日からのつづき。
「耳なし芳一、耳書き忘れ故意説」だ。
小僧は、なんで耳にだけお経を書かなかったのか。
まず先生が思いついたのが「芳一の耳、汚かった説」だ。
誰だって、汚い耳は触りたくないもんな。
それに、ものすごく油でべたべたしていたから、墨をはじいてしまい、お経が書けなかった。
そして、小僧もめんどいのでそのままにした、というのも考えられる。
次は「小僧、気になった説」だ。
これは、小僧が「お経が書かれていない場所は、どうなってしまうんだろう。」と思い、わざと書かなかった、という説。
かなり悪意があるね。
結果、実際にどうかなってしまったから、なおさらだ、小僧の悪意は。
最後。
「芳一の耳が隠れていた説」。
最後に来て小僧の故意じゃなかった説が来た。
これは、髪の毛で耳が隠れていたから、小僧が書き忘れてしまったんじゃないか、というのだ。
え、「頭にもお経がかかれてなくちゃ、頭も取られちゃう」、って?。
そう。
それなら、頭頂部とかは坊主で、耳を隠すような場所の髪の毛なら、問題ない。
ちょうど、落ち武者カットが、そんな感じだ。
芳一はなんらかの理由で、そんな髪型だったかもしれない。
いろいろいじれそうな説だろう?。
以上が、先生の持論だ。
質問等はメールのみ、受け付けるよ。
ところで話は変わるけど、芳一も災難だったよね。
耳とられて。
亡霊もちょっと、大人気ないんだよな。
そもそも、耳をちぎったときのコメントが、どうだい。
「芳一がいないから、とりあえず目に付く耳を持って帰ろう」ときた。
なんじゃそりゃ、って感じだよね。
どういった流れで、耳をちぎるにたどり着くのか。
ほんと、亡霊の考えることはわかんないよね。
もう、亡霊、亡霊、っと。
じゃあ、すこぶる暑いので、今日の授業は終わりだ。

耳書き忘れ故意説

では、今日の授業のまとめだ。
「耳なし芳一、耳書き忘れ故意説」について。
??耳なし芳一、耳書き忘れ故意説ダイジェスト??
芳一は、身の危険を感じ、全身にお経を書くことにした。
しかし、小僧が耳だけにお経を書き忘れてしまったことにより、耳なしの称号を得ることに。
「こ、小僧のやろう。なんで耳書き忘れるんだよ。俺も気付かなかったけど・・・。」
ふと、芳一の脳裏に疑惑が生じる。
なぜ、あんなところからこんなところまで写経網羅した小僧なのに、耳だけ書き忘れたのだろうか。
そんなことが考えられるだろうか。
深まる疑惑。
うずまく陰謀。
そんななか、白金マンドリンクラブ一番の使い手、「波打つ小指、三浦」がクラブを脱退するとの問題発言!!。
そして、耳書き忘れ故意説が誕生する。
????
明日はその意味合い。
小僧がなぜ、そんなことをしたか。
その理由を考えてみようと思う。
じゃあ、すこぶる暑いので、次回だ。

おゆうぎ

蚊にどこそこを刺された。
顔や指の関節など、この題目では、人々はその内容に事欠くことはない。
この話が生かされるような場面がある限り、蚊はなかなかに有用な生物だ、と言える。
確かに、刺されたときは腹が立つだろうが。
先ほど、耳の後ろあたりを刺された。
気になる。
しょうがないので、カリカリとかく。
すると、メガネのテンプルにその指が触れ、メガネが上下に動く。
くまだまさしの出来上がりである。
「どうだいみんな、おゆうぎだろう?。」
この話が生かされないような場面である限り、蚊はなかなかに憤りを感じさせる生物である。

僕のガムシ その3

昨日からのつづき。
【あらすじ】
水生昆虫界の逆イアン・ソープ、ガムシと出会う。
図鑑には「ガムシは泳ぐのがへた」と記載されている。
記載されてしまうくらいなのだ。
どれだけへたなんだ・・・。
僕はさっそく、洗面器に水を入れてきた。
そこにガムシを入れる魂胆だ。
ふと、周りの大人たちは不思議な顔をしているのに気づいた。
前述したように、ガムシはコガネムシ型なのだ。
どうやら、大人たちはコガネムシを水につけてどうすんだ、と思ったらしいのだ。
僕は言う。
「コイツはガムシといって、水生昆虫なんだ。泳ぎがへたらしいけど。だから、水に入れてみる」
今思うと、この説明では、余計に不思議に思ってしまいそうだ。
反省している。
とにかく、準備はできた。
後は、ガムシを泳がせてみるだけだ。
虫かごからガムシを取り出し、水面に置いた。
・・・・・・
浮いた。
そのとき、ガムシが、浮いた。
マンタが、飛んだ。
ガムシは、「泳ぎがへた」とか、そういう予想に反して、水に浮いたのである。
泳ぐどうこう、以前の問題。
浮いたまま、微動だにしない。
指で水中に押しやっても、なんら反応をしない。
指を離すと、ぷかーと浮いてくる。
ガムシは、腹部分に空気を溜め込み、水中での呼吸に役立てることが知られている。
また、今回のガムシはそもそも水中への準備ができていなかっただろう。
浮くのは、別に不思議ではない。
しかし、このときの僕はショックだった。
「泳ぐ泳がない以前に、浮いてるよ・・・」。
水面でぷかぷか浮き、動かないガムシを見て、なんだかコイツはガムシではなく、普通の陸上生活をするコガネムシなんじゃないかと思えてきた。
洗面器を囲んで、そんな風な雰囲気が僕らを取り囲む。
僕はガムシを摘み、ティッシュにつかまらせた後、逃がしたのだった。
あのときのガムシは、本当にガムシだったのだろうか。
ともかく、僕にとってのガムシとは、水生どうこう以前に、浮く、というものなのだ。
追記
なんだか「水生昆虫」の変換が「彗星昆虫」となってばかりいる。
なぜなんだ。
とりあえず、「閃光少女」みたいなもんか・・・。

僕のガムシ その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
水生昆虫界の反逆児、ガムシと出会う。
熊本県、どこか。
親戚のうちに、僕はいた。
当たり前のように暗くなるまで虫取りに励むが、成果は振るわず。
おじさんも「最近はでかい水生昆虫は見かけない」とひとこと。
こういうとき、虫好きのヤツは、外灯に強い期待を寄せる。
虫というのは、うんたらということわざもあるように、光属性を持つのだ。
水生昆虫も例外ではない。
夜になると彼らは光に対して、まるでカワイコちゃんが座っていた座席に吸い寄せられる中高年サラリーマンのようになる。
20時ごろ、僕はアタリをつけていた電柱へ向かった。
虫かごのみ、持っていく。
水生昆虫が目的の今回の狩猟では、彼らが電柱にへばりつくことがない以上、虫取り網は要らないのだ。
ヘビの襲来にビビりながらも、到着。
その電柱の周りは、大盛況だった。
よくわからん、虫かどうかもわからん馬の骨が飛び回っている。
一匹くらいスカイフィッシュが、いたとしてもわからないだろう。
地面には、これまたよくわからんモノが落ちている。
一体くらいキン消しが紛れ込んでいたとしても、わからないだろう。
そのひとつひとつをじっくりみて、ターゲットを探した。
確かにゲンゴロウっぽいモノもいるようだ。
しかし、みんなとにかく小さかった。
なんだか、わからない。
ちょっとざんねんでした、みたいな雰囲気だ。
そんな中、ひときわ大きい昆虫がのっそりしているのを見つける。
それがガムシなのだった。
もちろん、そのときの僕は「ガムシでもいいから!!。」状態だったため、喜んで彼を摘んだ。
彼は何の抵抗も示さず、虫かごに投入される。
ガムシが、本日の成果だ。
さて、さっそく戻った僕は、あることがしたくてしょうがなかった。
図鑑に記載されていた「ガムシは泳ぐのがへた」が気になっていたのである。
み、見てみたい・・・。
つづく。

僕のガムシ

川辺近くの田んぼに水がはられてから、幾分たつ。
虫取り網を持つ少年達に混ざり、その水の中を覗き込んでみる。
すると、小さな生物がちょろちょろ泳いでいるのが見てとれる。
彼らは気づいていないようだが、ある種類のゲンゴロウが何匹かいるようだ。
もちろんそのゲンゴロウは、よく知られた濃緑色の、体長4cmくらいのヤツではない。
しかし、多くは体長1cmにも満たない種類なのに、ソイツは1.5cmくらいはありそうだ。
この田んぼにはよく来るが、この大きさのゲンゴロウが何匹もいることは、少し珍しいように思える。
さて、ノスタルジーな感じかつ、あまり興味深くない出だしでナニだが、今回は「ガムシ」について。
水生昆虫として知られている虫である。
ガムシは、冒頭で説明したゲンゴロウと同じく、甲虫(かぶとむし)の仲間で、こまごました種類も多い。
しかし、その知名度はかなり低いのでは、と思う。
確かに、その姿を図鑑などで見てみると、その理由もわかる。
たとえばゲンゴロウは、美しい流線型ボディを持ち、水をかくのに適した足を持つ。
カメムシ種系で泳ぎ回るタイプも、それに近い。
またカメムシ種系では泳ぎまわらないものもいるが、彼らはその分、やたら攻撃的なフォルムを持つ。
それに対し、ガムシはどんくさいコガネムシ型だ。
特異な姿をした水生昆虫は、子供達の人気者だが、このガムシにいたっては、その限りではない。
「こいつ、他の水生昆虫が水のことや狩猟のこと考えているのに、なんだこのていたらくは!!。」
その写真から、そう憤りを覚えることだろう。
形を見る限り、彼らは何も考えていないように感じるのだ。
ところで、この子供達の感想は、特別局所的な話ではない。
実際、彼らは腐った水草などを食し、そもそも捕獲器官はなくてもOKなのだ。
※ガムシの幼虫はゲンゴロウと同じく、がっつり他の動物を喰らうのだが、いかんせんイモムシ型なので、気持ち悪く、近くにおいておきたくないタイプである。
それに、図鑑にすら「泳ぐのがへた」と書かれてしまうのである。
図鑑の水生昆虫コーナーで、その特徴を「泳ぐのがへた」「体は流線型でない」と書かれてしまうガムシ。
子供達が興味を示さないのも、しょうがない。
ちょっと、水生昆虫を探しに行く子供達のなかに紛れ込んでみよう。
「よし、今日はタガメ(カメムシ系水生昆虫のトップ)とゲンゴロウを採ろう!!」
2時間後。
「タイコウチとか、小さいゲンゴロウでもいればいいんだけれど・・・。」
2時間後。
「アメンボはいっぱいいるんだけれどね。」
2時間後。
「もう、ガムシでいいから!!。ガムシでもいいから!!。」
こんな感じ。
ガムシには悪いが、水生昆虫を愛する子供達にとって、ガムシは最大限の譲歩なのである。
ところで、僕はこのガムシに一度だけ会ったことがある。
つづく。

天使シール

「あの、風に揺られている木の葉が落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「息子よ。どうやらその話は誤って伝わっている部分もあるらしいぞ。」
「え、そうなの?。」
*******
「じゃあ、ある日本家庭の、あるタンスに貼られているビックリマンシールが剥がれ落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「これでお前も、サグラダ・ファミリア完成の瞬間が拝めるな。」

のりしろ

ガダラの豚。
故・中島らも氏の代表作で、文庫本で「?」「?」「?」と3巻まである、面白いが少々購買意欲を削ぐ小説。
集英社文庫から出ていたが、近頃双葉文庫でも出たようだった。
僕はさっそく双葉文庫版の「上」を買い求め、その紙に書かれている文字をひとつづつ見てみた。
要は、読んだ。
この小説は、前半のまぁまぁ安穏な雰囲気と、後半のVガンダムさながらの赤血球流出な雰囲気の落差を楽しむものであると、僕は勝手に解釈している。
後半あたり、らも氏はだいぶニヤニヤしながら書いたのでは、と思う。
とりあえずそれはどうでもよく、とにかく「上」を読み終えた僕は、「中」を探した。
ところが、どこの本屋でも双葉文庫版の「中」がない。
なぜなんだ。
ふと、集英社文庫の方「?」があるのを発見。
うちにあったかどうかもわからない。
とりあえず「?」を買ってみた。
・・・なんということでしょう。
「?」の前半、半分くらいが、双葉文庫版の「上」のかぶった内容なのである。
「上」のつづきが見たいのに、それは?の後半、からなのである。
どうやら、集英社文庫で?、?、?の3巻として出していたものを、双葉文庫は上下の2巻で出したということのようだ。
僕は、その内容のりしろ部分を読み飛ばしながら、なぜ「?」を買ってしまったのだろう、と後悔した。
そうだ。
集英社文庫の「?」を買ったのは、双葉文庫の「上」のつづきが読みたかったが、双葉文庫の「中」が見当たらないから、という理由からでなのであった。
しかし、そもそも双葉文庫の「中」なんてものは、はなからない。
のりしろに強い憤りを覚えていた僕は、自分の方に過ちがあることを認めざるを得なかった。
ありもしない「中」を勝手にあるものだと勘違いし、セール日を間違えて、ありもしない安い卵を探し求める主婦のようになっていたのである。
「なんで僕、「中」があると思い込んでいたのだろう?」
すぐにわかった。
僕は以前から「ガダラの豚」が、文庫版で3巻まで出ていることを知っており、もちろん今回の新刊もそうであるに違いないと勘違いしたのだ。
だから、その「上」を見て、何の確認もせず「中」があると思ったのだ。
どうやら僕にとって、ガダラの豚はその内容もさることながら、とにかく3巻もある、やたら長いヤツ。
とにかく3巻もあるのかよ、という認識なのだった。
今、部屋の床に、その小説が3冊、平積みされている。
下から、上??の順だ。

おこらせメソッド

書くことが、あるといえばある。
しかし、それよりもPCが発する熱量の深刻度のほうが、絶対値が高い。
そんなときに便利なのが、羅列だ。
本日は「言葉で相手を、速やかに怒らせる」です。
怒りの種類は結構あると思いますが、まぁ見てみましょう。
◆会話の要所に「どこでどう間違ったんだか」と言いくわえる。
◆相手の会話を軽くさえぎり、「あ、うんわかった。うちかえって、フルーチェでもつくろうか」と言う。
◆なんかあんたの喋り方、混ぜ物はいってんじゃない?と言う。
◆もう、高野豆腐と話してるみたいな気分になってきたよ、と言う。
◆あぁ。今なんか、テレビでフルーチェのこと触れてたよ・・・。
やっぱいいよな。フルーチェ。
でもあんまし触れちゃったら、良さが薄れるからな、フルーチェ。
また、ほとぼりが冷めた頃に、ひとりで楽しむか。
でも、なんかざんねんムードなので、終わりに。