大人の推薦

人に何かを薦めたとき、その瞬間に責任が生じるのが、僕はいやなのだ。
例えば僕が「あそこの大判焼きがうまい。」と誰かに言ったとする。
するともう、その大判焼きがまずい、ヘタすると普通の味であったとしても、僕は何かしら負わなければならないだろう。
それは
「あいつが言うことは信用できない」というレッテルか。
「あいつは舌がヘビみたくなっている」という無根の噂か。
「あいつは大判焼きを上下に開き、先にあんこだけをピックアップする」という事実か。
「あいつは大判焼きとチョコパイの区別ができていない」というミラクルか。
結局、もし絶大にその大判焼きがおいしかったとしても、もちろん他の例えだったとしても、それは他の人にはそうでもない、といったことは少なからずあるわけで、見返りを考えるとあまりモノを人に勧めるのもどうか、という気がしてくる。
それは、情報を提供した際の、信頼性を保障する責任。
一方、薦められた側の責任も、僕は負いたくない。
「ねぇ、あの本、面白かったでしょ?。」。
このとき、その本を読んでいなくても「あー、面白かったよ。」と言わねばならない。
しかし、相手はまだ何かを期待して君を見ている。
そうなると「あの、ビアガーデンの舞台で偶然出会う2人のシーンなんて、最高」とか、具体例を列挙する羽目にもなる。
それは、相手の好意を裏切らない責任。
両例えはアレだが、その根源にある責任はやたらまともだ。
だからむずい。
ということで、誰かにモノを薦めるとき、薦められるとき、相手が「人それぞれだよね」という考えを普遍的に持っているかどうかが、いつも気になるのだ。

レ点

「なんかおもしろくないなー」という、漠然とした気持ちがもう、10年は続いているような気がする。
もちろん、全くそれがないのが10年続いているはずもなく、面白いものはいくつもあったのだ。
しかし、そのほとんどを、僕は感心することで感じてしまう。
「うわ。それうまいこと言ったなー。すごいわ。」
胸が痛むほど笑い転げたり、加湿器が必要になったり、そういったのが、無い。
こんななので、時間があればお笑い番組をよく見る。
すると、1/2くらいの芸人さんはうまいこと言いで感心しーの、1/4くらいの芸人さんはオチが読めーの、1/4くらいはチャンネルを一時変えーの、になる。
要は、半分くらい、笑えないし、感心できない。
例えば、一発ネタを持つ、ある人気芸人さんがいるが、どうしてもあまり笑えない芸人さん。
それが一発芸的な面からのみ得られる感じなのかはともかく、だが。
ただ、僕としてはむしろ普通の会話や漫才の方が、いいセンスを出す気がする、そんな人。
ところで、僕は一度もあったことの無い人を批判的にどうこう書きたいわけでない。
ここで言いたいのは「昔だったら、そのネタに笑っていただろう」ということだ。
どういうことか。
それは「以前、何かしらその人の芸風に似たモノを見てしまった。」ということ。
上記の、笑えないし、感心できない芸人さん達のもそう。
過去に、似た芸風を経験してしまっているのだと思う。
もしかすると、全然芸風が似ていなかったとしても、例えば顔が似ているというだけで、過去に経験したものとして勘違いしているかもしれない。
過去に見たっぽいから、いまいちと感じる。
それが、さみしいし、もったいない。
「僕のエド・はるみ(書いちゃった)枠は、もうチェックが入っちゃっているみたい。だからいまいちなんだと思う。」
誰なんだ、俺のエド・はるみ枠を塗りつぶしたのは。
その人がエドよりも面白くなかったら、エドに申し訳なく、僕ももったいないことになっているんだぞ!!。
と、この一連の話を知人に話したところ、かわいそうな子を見るような目で、見られちゃった。

入手

渡る世間は鬼ばかりの台本が手に入りましたので、見てみましょう。
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長子、英作と子供の話で6分。解決しない方向で。
幸楽にて眞、ちょっとわがままめに7分。不穏な空気を。
弥生関連、弥生を困らしつつ、うやむやに。8分。
吟、落ち着いて。
おかくらで長子、落涙で3分。まだ解決しないこと。
文子、葉子、目立ったイベントなし。おかくらに訪ねること。3×2分。
獏、ふがいないを3回。ビールはおいしそうに。5分。
ナレーション、時間の間に、適宜。
次回は長子押しで。
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これで、みんな動いてます。

eの主張

うかつにも、本ブログ2回目の「電子辞書」話で恐縮だ。
そのCMは2日ほど前に見た。
ゾウのキャラクタが、新製品の電子辞書を紹介していく。
うかつにも、前回までのニンテンドーが続くような話で恐縮だ。
その電子辞書は、ニンテンドーDSのように、タッチペンで、検索したい漢字などを入力することができるのだ。
ゾウは、お前らそら調べんとわからんよな、という漢字を鼻で持ったペンで入力、その意味を知ることができていた。
問題はここからだ。
その電子辞書には英語関連も入っており、ゾウたちはある単語を調べようと、「e」を入力した。
なんでもないCMのはずだった。
・・・しかしこのCMのあと、僕は誰かにこのことを報告せねばと、妙なあせりを覚えることになる。
なんと、ゾウが検索したかった単語は、万人が想像した「elephant(象)」ではなく、たしか「environment(環境)」だったのだ。
どういった了見だ、ゾウ。
CMというか、流れとして大ミスではないのだろうか。
それとも、環境問題がこんなところにまで来ているとでもいうのだろうか。
いや、そんなんはいい。
気になるのは、このCMでどれほどの人が肩透かしをくらったような気になったか、ということだ。
むしろ、それが狙いだったのか、CM。
そうなると僕、少々楽しみすぎとなる。

Wii Fitについて ?

昨日からのつづき
【あらすじ】
色んなものに「Wii」とつけてみよう。
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・Wii ネオジオCD
あのネオジオCDの、怒涛のローディング遅さが、Wiiで再現。
こころにゆとりが生まれる。
・Wii 漫才
Wiiリモコンでツッコミを体感。
角度とスナップが高得点の鍵。
・Wii 回覧板
かなりローカルなネタを大々的に提供。
「○○小学校の運動会で不正発覚」など。
・Wii Paint
すぐにでも出そうだが、僕としては「Wii本体にらくがきするマーカー」であると考える。
・Wii Swim
これもありそうだ。同時に専用マットが発売される。
・Wii たけしの本当は怖い家庭の医学
これも何気に。普通に「家庭の医学」でもいいんですけど。
ちなみに調べたら「たけしの本当は怖い家庭の医学」は
「メディカル・ホラー・エンターテイメント番組」らしい。
最終警告!。
・Wii 血圧計
普通の血圧計と思ったら大間違い。
数値が全国的に集計され、ランキングになります。
ランキング上位であることがばれたら、保険料が上がります。
・Wii Dance
これもありげ。
タイトル上部に、吹き出しで「ラッキィ池田の!!」が入ります。
・Wii 料理
専用フライパンの取っ手にリモコンを装着し、料理をすると採点します。
「イタメモノガ コボレマシタネ」。
いわれずとも、その場でわかるのである。
・Wii 保健体育
12歳頃の子供のいる親が買っていき、そっとラックに忍ばせる。
・Wii ワンセグ
ワンセグ非対応テレビでもワンセグを。
よく知らないけど、こういうのはもうあるのかな。
・Wii 選挙
これもあるだろう。ネットで投票、の次くらい。
そうでなくても、セカンドライフ的な、何かでもだいぶありそうな話だ。
・Wii 潮干狩り
潮干狩りは「狩り」ってついてるけど、そんなにアクティブなものじゃない。
それを、居間で!!。
専用くまでのお求めを。
・Wii 鍛冶屋
リモコン持って、鉄を熱いうちにうて(鍛造というらしい)!!。
腕がよければいい武器ができるぞ!!。
何気にゲーム一部で使ってもいいんじゃないか、のアイデア。
・Wii お正月
百人一首はリモコンを持って、札をはねる体感ができます。
羽子板、凧揚げもしかり。
初詣も、ゲーム内の神社で済ませてしまえ!!。
羽子板等で勝利しないと、お賽銭がないです。
餅つきについては、上の鍛冶屋参照のこと。
・Wii スキンケア
Wiiボードの上に立ち、ボディローションを塗るしぐさをすると、どれほど隅々まで濡れたかを採点します。
ローション塗りにも練習が必要なのだ。
・Wii ひよこ選別
ひよこの雌雄決定は、色んなところで言われているようにムズいらしい。
初生雛鑑別師(かっこいい)なる人もいるみたい。
Wiiで練習だ!!、と思ったら、そんなゲームが一応あったらしい。ざんねん。
・Wii 編み物
リモコンとヌンチャクをハの字に持ち、画面を見ながらバーチャル編み物。
最初から本番の方がいいのでは、は、本ブログ内容全般に言えること。
うん。
適当だが、だいぶ挙げた。
それにしても、最初がネオジオCDとはね。
Wiiのある新しい生活(ちょっと気に入った)。

Wii Fitについて ?

一応つづき。
【あらすじ】
Wii Fitの「ジョギング」って、Wiiボード使わないのかわいそうじゃん。
でも、もうひとつFitで気になることあるな。
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もうひとつ、気になるのは、同じくWii Fitについているソフトに収録されている「スキージャンプ」だ。
これは文字通りスキージャンプを模したゲームで、坂を滑り降りていく映像時に、実際に身をか少しかがませ、ジャンピング地点でタイミングよくひざを伸ばすことで高得点を目指すものだ。
これをやると、かがんだことを認識してくれるWiiボードに正直、感心するのだが、それとは別に気になることができてしまう。
「こいつにとって、かがむとは何だ」である。
僕なりに「これをやると、かがんでいると認識する可能性が高そう→低そう」を予測、並べてみた。
◆可能性大
・かがむ。

・ゆっくりコマネチをする。

・逆立ちした両足にボードを乗せる。

・あぐら。

・猫を寝かせる。

・こたつの中にボードをいれ、みんなで足を乗せる。

・ろくろを回す

・Wiiボードを3台ほど重ね、その上に直立。

・人差し指でぎゅーっと押す。

・10人くらいで息を吹きかける。

・ししおどしの台に置く。

・拘束されている人に乗ってもらう。

・大きく上下に振る。

・乗らない
◆可能性低
この場合、例えば「猫を寝かせる」までをボードが「かがんでいる」と認識した場合、こいつにとっての「かがむ」とは、「猫である」ということになります。
それにしてもばらばらだな、順・・・。
以上のことで、結論が2つ出ました。
1.Wii Fitに発電床つけたらどうなるんだ?。
2.ヌンチャクって語呂、なんかやらしいと思わね?。
「?」がつく結論ってのも、いいものです。
次回。
いろいろなものに「Wii」とつけてみる。

Wii Fitについて

いまさらながら、Wiiである。
「Wii Sportsで筋肉痛になっちゃったよー」というあいさつもあまりされなくなり、いたって普通に消費者に溶け込みまくっている任天堂のゲーム機である。
さて、そのアクセサリに「Wii Fit」がある。
本体に乗り、ヨガや階段運動がゲーム感覚でできるやつだ。
CMでもおしとやかに紹介されている。
こいつ、気になる点が2つある。
まずは「ジョギング」。
Wii Fitに付属しているソフトに収録されているものだが、その割にはFit本体(バランスWiiボード)は使用しない。
コントローラとしても使う「Wiiリモコン」を持ったり、ポッケに入れたりした状態で、その場ジョギングをする。
トレーニングそのものをどうこう言う気はなく、僕はフラフープのゲームの、プレイヤーの奥で踊る2人が大好きだったりするが、この「ジョギング」は疑問だ。
なにが疑問かというと「プレイヤーがWiiボードの横でその場ジョギングをする」点。
「ジョギング」を楽しんでいる間、そのボードは無関係なのである。
もちろんそのあとまた使うので出しっぱなしなのかもしれないが、汗をかくプレイヤーの横でじっとして、なんかかわいそうだ。
また、これもボードの使い方ですということになったら、その用途が飛躍的に広がってしまうような気もする。
例えば、ボードを居間に出しておいて、リモコンをポッケに入れておいて掃除をし始めたら、それは「Wii Cleaning」となりそうだ。
そのまま本を読みながらうたたねでもしてしまえば「Wii Relax」。
外におでかけすれば「Wii 外出」となる。
もちろん「Wii 通勤」というのもあるだろうし、うっかり「Wii Lovers」やっちゃってた!!、もあるだろう。
これらは、それほど「ジョギング」の使用方法から離れたものではないと思う。
これも範疇に入れていいのか、Wii Fitよ。
でも、書いてて「Wii Cleaning」「Wii Lovers」はいろいろ考えられそうで、あながちブーではないかも・・・とかなってきた。
うーん。Wiiのある新しい生活。
次回、もうひとつWii Fitで気になる点。

ロマンスの神様

カバーされていた「ロマンスの神様」を聞かせてもらいました。
さて、意識してこの曲を聞いてみると、面白ポイントがありましたので、報告いたします。
歌詞に、このような部分があります。
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ノリとはじらい 必要なのよ
初対面の 男の人って
年齢 住所 趣味に職業
さりげなく チェックしなくちゃ
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→ここの「年齢 住所」を「年齢不詳」にするとおもろいです。
また、こんな内容もありました。
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待っていました 合格ライン
早くサングラス 取って見せてよ
笑顔が素敵 真顔も素敵
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→この内容から、「彼」はそれまでずっとサングラスをしていたことになり、飲み会の席ではちょっとヘンです。
まぁ、こんなところです。
でも、結局いい曲だよな、ロマ神。

宿痾

「古きよきをたしなむ」などと意識せずとも、近頃のカバーされっぷりは目を見張るべきだ。
曲はもちろん、昔のおもちゃ、食べ物の復刻など。
昔は「カバー」という概念すらなかったような気がする。
んなこといって。
なんか問題なんの?。
いや、そんなことはない。
懐かしいし、曲なんかはオリジナルとはまた違った感じがよかったりする。
でも、そういった層が有力な消費者になったとか、そういった理由以外の、何か気になる感じなんだ。
そう、何かがちゃんと完成しそうになってきたんじゃないか。
そんな気がする。
そして、それに向かってものごとが収束してきたんじゃないか。
余分なものが省かれて、まとまりだしたんじゃないか。
そんな感じ。
完成するなら完成するでいいんじゃないの?。
もちろんそうともいえるけど、一方では、世界は壮年期を過ぎたのだとも思ったりしてしまう。
それはこの世界を行く人にとって避けられない、寂寞の念か。
いま、「いいものは古いもの」ばかりになってきたのが、少しさみしく感じる時分だ。

いのちの名前

先日、itunes Storeギフトカードについて少しだけ触れたのだが、それまで僕はその正式名称について、曖昧だった。
何か、そういう風に使えるカードがある、くらいの知識しかなかったのである。
なので、それを調べようとitunes Storeを開いたのだが、そのとき思い出してしまった。
千と千尋の神隠しのラスト近くで流れる曲「いのちの名前」。
千尋がハクと別れる。もう、出会うことはないだろう、互いの手が離れゆくシーン。
八百万の神々が住まう世界から出るときの、振り返りたい気持ちを払拭したシーン。
学生時代、千尋をずっと「ちさと」だと思い込んでいた自分。
全てが、ガムテープでみっちり封じられたダンボールを力任せにこじ開けたくなるような衝動に駆られるものばかり。
その衝動に「いのちの名前」はあったのだが、それに歌詞があることを僕は知らなかった。
ところが少し前、姉がどこからか「アカペラジブリ」なるCDを入手、それを聞いて初めてそれを知った。
そして、こういう流れにより、まんまと僕はitunes Storeでオリジナル「いのちの名前」を探しまくってしまったのだった。
僕はそのとき、ここちよく、手中にあった。