できあがり

ひとたび飲み会に行ってみると、こういう人の出現を目の当たりにするだろう。
「できあがっている人」である。
「できあがっている人」は大抵他の人より、そのように評される。
自らを「はい、たった今、できあがりました」という人は、あまりいない。
そんな彼氏彼女がなんらかの事情を背景に、あたりを徘徊する。
さて、問題は「できあがっている」という点だ。
人は酔うと「できあがる」ものらしい。
ということは、人は酔っていないとき「できあがっていない」ということになり、その差を言い換えると「完全体に近い」と「完全に近くない、不完全体」の差、ということになるだろう。
どういうことなのだろうか。
例えば、先ほどの彼氏彼女のような人が酔っていないとき、「できあがっていない」からといって勉強、仕事ができなかったりするだろうか。
補助する人が3人くらいいても、逆上がりができないのだろうか。
テーブルの上のものを取ろうとするたびに醤油入れを倒し、カレーが袖に付いたりしてしまうのだろうか。
もういいと思うが、そんなことはない。
どうやら、酔う酔わないの話での「できあがる」は、そういうことではないのだ。
では、何が「できあがる」のだろうか。
少し考えたが、「いらない切手を貼っていって、モナリザを描く」ことはできあがらないな、ということだけ、分かった。
要は、何も考えなかった。
ただ、酔った彼らは、確かに「できあがっている」のである。
問われてみよう。
酔った人を連れた安住アナに「この人はできあがっていますか、それともできあがっていませんか」と。
本日挙げたような意図を考えないようにしても、おそらく全ての人が「できあがっています」と答えるのではないだろうか。
「ああ、この人はできあがっていますよ」と。
酔った人のことを知らなくても。
「この人はさらに一歩、完全体に、さらに一歩、近づいています」と。
言ってしまうだろう。
酔いの先にいつか訪れる完全体が何なのか、わからない。
ただ、今は2つ、確信していることがある。
ひとつは、その完全体が何なのかがわかれば、「できあがる」とは何か、が判明するだろうということ。
もうひとつは、酔った人が完全体になることができたとき、たぶん「まだできあがってないんじゃないの?」と言われるだろうということ。

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