車後の狩猟本能

人にまだ狩猟本能というものがあるとしたら、それはただ胸のうちに秘められ続けるものなのだろうか。
風に舞うビニール袋を見つけると、思わず踏みつけたくならないか?。
本気でちょうちょを追ってみたいだろう?。
アマゾン奥地に生息する珍獣「アルトバイエルン」は、君に捕獲されるのを待っているぞ。
老山龍の天鱗がなかなか手に入らないのに、何度もゲームをしてしまうだろう?。
こんなふうにして、僕らの狩猟本能は日常生活においても見え隠れする、グラビアアイドルのなにかのような性質を持つ。
そしてそれは「混雑する駅の改札口」でも見られるもの。
改札から出るとき。
僕らの改札口ターゲティングはだいたいそれの15mくらい前から始まっている。
出る用の改札口は右、左のどちらに固まっているのか。
一見出る用でも、入る側からも利用できる、トラップ口でないか。
前に使用した人が遮へい板にひっかかっていないか。
使えそうな改札口でも、実はきっぷ入れ口が塞がっているのではないか。
人の流れが集中しやすい口を選ぼうとしていないか。
野口五郎が待っていやしないか。
遮へい板にトリモチがついていないか。
定期が正しく認識されなかったとき、遮へい板が前後に出現するタイプじゃないか。
・・・遮へい板、いじりすぎだね。
車後の狩猟本能、おわり。

いろいろ 2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
どんなセンテンスにも、その最後に「人生いろいろである」をつけると、すばらしく完結してしまう。
でも、気になることが。
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人生いろいろの付加による、文章のおわりっぷりは、見事である。
「はっはっは、見ろ!!。人がゴミのようだ!!。人生いろいろである。(ムスカ 天空の城ラピュタ)」
見事だ。
しかし、気になることもある。
それは「見事すぎ」。
それだけ。
でも、ちょっとスマートすぎる。
こういうのは、ちょっとズレていたり、物事をひっくり返すようなものがあると、それはそれでいい感じになることを、僕は体得している。
そんなことを考えていたとき、なかなかいいのでは、と思うヤツが浮かんだ。
「でも、やっぱり猫が好き」である。
前日の例に、使ってみよう。
「春風に乱れる髪を押さえていたのは、僕が話しかけてしまった女だった。でも、やっぱり猫が好き。(吉田修一 パークライフ)」
「丸大豆醤油50%使用。まろやかで、こんがり香ばしい。でも、やっぱり猫が好き。(ハウス とんがりcorn)」
「スピーカーから、小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。でも、やっぱり猫が好き。(村上春樹 ノルウェイの森)」
「はっはっは、見ろ!!。人がゴミのようだ!!。でも、やっぱり猫が好き。(ムスカ 天空の城ラピュタ)」
ちょっとどころではなくズレているものもあるが、どうだろう。
もう、「そうなんだー好きなんだー」としか言えないじゃないか。
天然でこのような、まとまりそうなものをひっくり返すようなことを言える人はすごいが、周りは少し疲れるだろう。
意図的にそういうのを使える人がいたら、惚れるね。

いろいろ 1

宮沢章夫氏の本に「人生いろいろという言葉の、文章を終わらせるちから」が載せられていた。
僕もその効果に着目し、なんとなく気にしていた言葉だった。
その本は、その終わらせっぷりを明確に指摘していて楽しかった。
人生いろいろ。
そう。
それは、文章を完結させるちからを持つ言葉。
ちょっと、適当なセンテンスに人生いろいろを使ってみよう。
「春風に乱れる髪を押さえていたのは、僕が話しかけてしまった女だった。人生いろいろである。(吉田修一 パークライフ)」
「丸大豆醤油50%使用。まろやかで、こんがり香ばしい。人生いろいろである。(ハウス とんがりcorn)」
「スピーカーから、小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。人生いろいろである。(村上春樹 ノルウェイの森)」
今、「とんがりcorn」のパッケージに表記されている「c」の大きさが微妙で、大文字なのか小文字なのか、すごく気になっているが、とりあえずこの完結っぷりはどうだ。
既存のもので例えを記したこと、罪悪感が無いわけではないが、それにしても、人生いろいろによって、完結されてしまっている。
すごいぜ、人生いろいろ。
まぁ、詳細はその本でも見て。
明日はこの完結っぷりについて、気になっていることがあるので、それを書く。
※ちなみに、今回挙げたモノは、絶賛発売中なので、これにてごめんなさいである。

何か、セガール的な。

僕のメモに「は棄された試験管ベイビー」と書かれているのですが、これが何なのか、全く思い出せません。
僕のことだから、なんやわからんけど面白く感じたものをメモっているはずなのです。
でも、今見ると、そこからどんなドラマが展開されるのかはいくつかできそうですが、そのほとんどは、面白くはないのです。
ぎりぎり面白くなりそうなのが、以下2つ。
◆破棄された試験管が洗濯中のおばあさんのもとに・・・、という感じ。
こう書いている間にもぎりぎりラインをオーバーしてしまいました。
◆実は書き間違いで、本当は「拉致された試験官ネイビー」で、なにか、空母をめぐる的で、軍の不正的な、何かがスペクタクルな感じ。
この人、海軍でネイビーなんて名前だったとしたら、ずいぶんいぢられただろうな。
それにしても僕。
「は棄」の「は」が、わからなかったか。
確かに最近、漢字とは疎い関係だ。
DSでもやるか。

知恵

多くの代謝機能や器官のはたらきが歳を経るにつれ、衰えゆくなか、「永続して発達する器官、知恵袋」はかなり特異な存在である。
その発達は女性に顕著で、高齢になると、外見からもその発達が見て取れるほどになる。
昨今、老女の変死が相次いだ。
調査を行ったところ、肥大した知恵袋に牛乳パックやハンガーが詰まっていたことが判明した。

やさしい報告。

アニメや小説は、景気よく大事故が起こったりする。
もちろんそれはその物語上、必要であるから起こるのであって、そうでないものはあまりないだろう。
落ちこぼれ学生達が、鳥人間コンテスト優勝を目指す。
しかし、会場に向かう途中、橋げた落下の大惨事が!!。
「な、なぜこんなことに・・・。」
物語とその作者に問いかけたい人、急増である。
ところで、そんなシーンについて、例えば現場の記者がこんなフレーズを使うことがある。
「さいわい死傷者ゼロのですが?。」
物語上、その事故の死傷者数が最重要キーになっていることはほとんど無いはずである。
しかし、記者は紙面もしくは放送時間を割き、言った。
「さいわい死傷者ゼロのですが?。」
記者が言った、ということ。
それは作者がそう言わせたのであって、その意図は「事故はあったが、物語とはいえ、死者を出したくなかった。」に他ならない。
物語進行に対する影響はさておき。
ちょっと、作者のやさしさを感じるのである。

耳障りノイズ

車を運転中、何か物音がしたら「あれっ、何かにぶつけちゃった?」と思い、あせる。
なんでそう思ってしまうのか。
例えばその物音が、何かが落ちたような、明らかに車とぶつかったようなものでなくとも。
「あれっ、何かにぶつけちゃって、そのはずみで何かが落ちた?」となってしまう。
なぜかぶつかった気満々なのである。
イヤホンで音楽を聴きながら、めしを食ってみる。
もう音楽どころではなく、くっちゃくっちゃである。
イヤホンを外せばいい話なのだが、音楽も聴きたい。
でも、音楽がくっちゃくっちゃに勝てたためしは、ない。
この世には音があふれているが、その中で耳を触るのはほとんど雑音だ。
上記の2つもそう。
だがそんな雑音は、結局は僕の性格や行動ありきで生じているものが多いので、どうにも困るのである。

2次会は何故花見に。

ある飲み会に遅れてしまった。
「もう、2次会始まるくらいじゃない?」
一緒だった人と、そんなことを喋っていた。
「ところで、2次会がなぜか花見だったら、どうする?」
暇なので、そんな憶測をしてみた。
この話は、花見のシーズンのころだったのだ。
「なんだかんだいって、まだ寒いよね。」
「そもそも、なんで2次会が花見に?。」
僕が思うに、どこも居酒屋がとれなくて、後はもう屋外かマクドナルドか、くらいの状態だったのでは、と思う。
これでは、マクドナルドに迷惑をかけるわけにもいかないので、花見を選択するだろう。
ただし、2次会に関する選択肢に「2次会を行わない」があるのに、花見が選択されてしまった理由は気になるところだ。
「だるいよ。帰ろ。」
このフレーズさえ、誰かが発すれば、みんな帰ることができたのかもしれないのに。
・・・どうやら、だるさよりも今年の桜がきれいだったことが強かったのだろう。
はれて、その人との間では、2次会は花見となった。

可燃

僕の住む町には消防団のようなものがあり、消防署ほどではない、分署のような建物がいくつかある。
その、専用車両を止めるガレージのシャッターには大きく「○○市」と書かれているのだが、何故かその字体が「燃えている感」を前面に出したものになっている。
・・・燃やすなや。

怪女

口裂け女に続く怪女あらわる!!。
【戦慄!! ポーチぎゅうぎゅう女!!】
わたし、いつも見えてしまうんです。
通勤ラッシュの電車内で。
その女は、いつもポーチを持ってるんですが、そのポーチが、いつもぱっつんぱっつんなんです。
何をそんなにいれることがあるのかな、って。
そんなにぎゅうぎゅうなら、もう少し大き目のカバンに換えたらいいんじゃないかと思うんです。
それにしても、いつもぎゅうぎゅうなんです!!。
誰だって、ぎゅうぎゅうのときくらいはあるじゃないですか。
でも、いつもなんです。
さすがにいつもじゃ、生理的にいやなんです。
そのポーチ、もうビーズの飾りが取れかかってきていて・・・。
わたしは内容物の入れすぎが原因じゃないかって、思ってるんです・・・。
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何が入っているかを考えると、恐怖をおぼえる話である。
このように、一見何の変哲もない日常に、恐怖は存在しているのである。
あなたはその恐怖に、気付かないことだ。
さもないと、あなたのポーチがぎゅうぎゅうにされているかも、し・れ・な・い・・・。
※ちなみに冒頭「口裂け女に続く?」は、口裂け女がずいぶん長い間がんばっていたことを表現しています。