拍手

ファミレスや居酒屋で、不意にまき起こる拍手。
それは、遠くの席に座っている、見知らぬ人間であるはずのあなたを祝っているものではないので、安心してほしい。
小さな祝福が、誰かに訪れただけだ。
しかし、である。
その音が聞こえた以上、あなたは何かしらの反応をしなければならない。
なぜならば、拍手の音はよくとおり、興味を抱かせる。
また、何気にそんなに頻繁にあるものではなく、少しだけ非日常的なイベントが近場で行われていることがわかってしまうからだ。
ひとりのときならまだしも、複数人でいるときに拍手が聞こえてきてしまうと、極端だが各個人内で相手の動向をうかがうような雰囲気になってしまうときもある。
「あ、拍手だ。何かあったのかな?。でも、そんなことで不審な行動をとっても・・・。あいつはどうするんだろ?。」
ということで、友達なんかといるとき、不意の拍手が聞こえてきたら。
なんか考えた。
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「不意の拍手が聞こえてしまったら、こう対処しよう」マニュアル
◆初級
:これはおさえよう。どこでも使える「気付いていますよ」テク!!
1.拍手が聞こえてきたほうに、少しだけ目をやる。
2.すぐに視線を戻す。
※1.の動作によって、主に
・その方向で、少し非日常的なことが起こっていることを、私は気付いています。
・経験的に、それは危険なものではないことを、私は気付いています。
が主張できます。
そして、2.の動作によって
・その拍手は私に向けられたものではないことを、私は気付いています。
が主張できます。
これらの動作で、すみやかに「自分は全てを理解しており、その結果、何もしないのだ」ということを友達等に示すことができます。
シンプルですが、ほとんどの不意拍手に対応することが可能です。
そして友達は、あなたをこう見るでしょう。
「あいつは不意の拍手を完璧にスルーできるやつだ。」
次回、中級。

奥深い本

「奥の深い本です!!」
本屋さんで、こんなポップを見るとすごく挑戦的な感じがします。
個人的な意見ですが、本を読んでどうこう、というのは、その内容が主観的であったり、かなり強烈に方向付けされていたとしても、100%読み手依存。
「奥の深い本です!!」は、あたかも「この本奥深いんだけど、お前にわかるかなぁ?」と言っている気がするのです。
例えば、本の文中に
「これだけ削りくずがあっては、さすがにメンボクナイ!!、ということで、さっそくスイッチを2回押したのであります。」
というくだりがあったとして。
人によってどうとらえるかは千差万別。
この文で
「削りカスと書かずに削りくずと書いたのは何故だろう?」
ということに気付いてもいいし、
「スイッチ、2回。」
だけを重要視してもいい。
「カタカナを使うな、カタカナを。古くさい。」
と思ってもいいし、
「過去を懐かしむ気持ちも「生」に対してみると、明らかな負の衝動である。」
ということがわかってもいい。
もし、この文に奥深いものがあるとしても、それは切れ込んだ崖のようなものでなく、見渡す限り、平坦なはず。
「奥の深い本です!!」という本を、奥深いものを探すように読んでしまっては、イカンのかもしれないです。
ちなみに僕が例文を読んだとしたら、とりあえずそこ周辺を読み返します。
ちょっと、衝撃的ですから。
例文。

混み

電車に乗っていると、こんなアナウンスが流れた。
「現在、前3両が大変込み合っております。なかほどの車両は空いていますので・・・」みたいなのだ。
な、なんでわかったんだ運転のひと!!。
おそらく
・その時間帯は、昇降口の関係上、だいたいそこが込んでしまうことがわかっている。
・見てた。
・車掌が見てた。
だろう。
じゃあ、おそらくじゃないほう。
・ブレーキの効きが良すぎている。
・チョロQの逆みたくなっている。
・呼気の二酸化炭素量を計測する装置が各車両に実装されている。
・前とまった駅のホームが「なかほど」部分のない、有名なホームだった。
・もれた客が申し訳なさそうに運転席にいた。
・湯気が出ていた。
・前3両がほぼ円筒形になっていた。
じゃあ僕は、おそらくの方で。

電子辞書

昨今の「電子辞書における大艦巨砲主義」の肥大がはなはだしい。
以前は国語辞書と英語関連くらいで、もちろんそれに特化したものもあるようだ。
しかし、特に総合的な機種においては辞書関連がそれぞれ2?3種類、そのほか料理や薬など、途方も無い情報がつまっている。
電子辞書開発陣は、もう5年くらい前には気付いていたのではないか。
「もう、特に入れるもん、なくね?」
でも、せっかくなので、さらに色々入れた。
すごく入れた。
最近はワンセグ見れたりもしちゃった。
そしてこれから。
おそらく昆虫図鑑ときのこ図鑑が入る。
お経が入る。
遠赤外線が出る。
聖書が入る。
枕の下に置いて寝ると、よくアルファ波が出る。
有名な小説が入る。
いい香りがする。
情報の入れ替えが可能になったりしながら、人の関わった全てのことを網羅するようなものができるのだろう。
だが、それでも多くの人にとっては、人の英知はまだまだ手のひらサイズに納まる程度の量しかないはず。

当て身、2回目。

昨日からのつづき。
【あらすじ】
「当て身」について書いていた。「一撃で仕留めるなんて、どれだけ練習、実践してんだ」と。
しかし、その間にも、わが家の風呂は開かれている。
昨日、当て身を一発で成功させるには、それまでにも当て身を何度となく繰り返してきたはずだ、と書いた。
全くそのとおりで、昨日、というか正直さっきの僕には頭の下がる思いである。
結局、何度も当て身を繰り返さないと気絶させられないようでは、ただの暴行になってしまうのだ。
(「ただの」重要!!)
だが、じゃあ一撃で仕留められることはすごいか、というと、それも考えものだ。
そんな彼は「当て身をしなくてはならない場面」が、人生の中にいくつもあるということで、それはちょっと、へんだ。
いわば、人よりも多く「当て身にフォーカスを当てた人生」を歩んできたわけであり、あまり大きい声では言えなさそう。
「特技:当て身」
どんなエロトークが展開されるか、わかったもんじゃない。
とにかく、当て身一撃で相手を気絶させるような手練になってはいけないのだ。
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でも男は、当て身を多くこなすような人生しか、送ることができなかった。
はじめての当て身のとき。
不馴れな当て身を気絶するまで受け続けてくれた女の愛は、確かというものそのもの、と感じた。
今までにした当て身は数え切れないくらいだったが、鳩尾に手をかける瞬間、彼が愛を感じないことはなかった。
そして今。
目の前の愛する人が、懇願する。
これが最後の当て身にならないだろうか・・・。
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ここで「ぎりぎり当て身に耐える女」の登場が、物語を加速させるのだった・・・。
そりゃいつかということで、「当て身」おわり。

当て身

「どうしても行かなければならないんだ。」
「行くというのなら、私を殺してから行って!!」
「…ゴメン」
と、ここで当て身の登場だ。
男は女の中落ちもしくはみぞおちに打撃を加え、意識薄れゆく恋人に永遠の別れを告げ、一人敵地へと向かうのである。
小さな頃から。
叱られた夜は「この当て身一撃で、本当に人は気絶してしまうのだろうか」という小さなじゅもんが聞こえてきていた。
いろいろ疑問だった。
何か吐いたりしてはしまわないのだろうか。
どのくらいで意識が戻るのか。
後遺症は?。
でも今は、できるできないはともかく、「一撃で仕留めるなんて、どれだけ練習、実践してんだ?」という疑問だ。
「はじめての当て身」でなんて、一撃で仕留めるなんてできるはずがない。
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「…ゴメン」
エイヤ。
あれ、気、失わないな。
エイヤ。
苦しそうだ。
エイヤ。
…気絶したみたいだな。
と彼は、なんとなく別の理由で気絶したっぽい女に、もう一度「ゴメン」と言わなくてはならない。
…ゴメン。
風呂に入るので、つづく。

エスカレータ

エスカレータの、足元の階段可動部と手すり可動部が同じ速度で運用されているという勘違いは、時として重大な事故を引き起こす。
現代社会においてエスカレータは、それほど珍しいものではないため、実験を行うことができる。
やってみたまえ。
乗った後、両手をベルトにかけておいてみたまえ。
下の階に到達する頃には、ベルト側の速度の方が速いことを実感できるはずだ。
あなたはそのとき、スキーのジャンプ競技、ちょうど最高地点での選手の姿勢のような状態となっているだろう。
乗った後、両手をベルトにかけておき、そこで体重を支え、両足を浮かせてみたまえ。
下の階に到達する頃には、ベルト側の速度の方が速いことを実感できるはずだ。
人よりちょっと早く、到達しているだろう。

水深

「そんなことするなら、プールで釣りしていたほうがマシだ!!」
こんな言葉を考えましたが、近いことができるところはあるらしい。
それに、結構検索でひっかかる。
ということで
「そんなことするなら、水溜りで釣りしていたほうがマシだ!!」
これは、検索するまでもなく、多いかな。
ということで、
「そんなことするなら、ビルの屋上から毛鉤垂らしていたほうがマシだ!!」
ということになりました。
思いがけない釣果が期待できるし。

例の、丸い構造物 3

前回からのつづき
【あらすじ】
すごく大きい、燃料を貯蔵してそうな丸い構造物「アレ」について。
特撮モノで、怪獣にアレを壊させている意図とは!?。
実のところ、アレは転がるものなのではないだろうか。
そして、その事実を隠すために、わざと怪獣という創造されたものに壊させているのではないだろうか。
もしそうなら、その試みは成功していると言えよう。
「お父さん、アレって、転がるのかなぁ?」
「転がるはずないじゃないか。」
ただ、なぜ「転がらない」と思わせたいのか。
それは、アレが転がるのは現実に対して、ちょっとファンタジーすぎる、ということに尽きよう。
安全性、コスト面、容量と、すべてを兼ね備えたタンクを開発することができた。
そして建造の許可を受ける際、こんなやり取りがあったのである。
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A「素晴らしいタンクですね。文句のつけようがない」
B「そうです。夢のタンクです」
A「すぐに許可がおりるでしょう」
B「ありがとうございます」
A「ところで、一応なんですが」
B「はい、何です?」
A「まさか、転がらないでしょうね?」
B「え、何がですか?」
A「ですから、土台部分が外れた場合、崩壊するのではなく、転がってしまう、ということです」
B「土台が外れることはあり得ません」
A「では、土台をつけずに建造した場合は?」
B「そんな憶測は、無意味です」
A「とにかく転がらないか、が重要なんです。もちろん崩壊でも転がるのでも、絶対にあってはならないことです。しかし、もしもがあって、転がってもみなさい。被害の中に、ファンタジーが生まれてしまいますよ」
B「何言っているんですか。試してはいないですが、とにかく転がったりしません!!」
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転がってしまったのである。
しかし、災害による崩壊とその二次災害の重大性を考えると、その強度を下げることはできない。
まだ転がった方がまし、とは口が裂けても言えないが、まぁそうだそうだ、となったのではないだろうか。
絶対に崩壊も転がりも起きないはず。
しかし、転がる能力だけは持つ、アレ。
それを隠すため、色々な場面で「アレは転がらないことを想像させる方針」が取られているに違いない。
人々に「アレは転がらないもの」であるという誤った事実を植えつけているのである。
なんというプロパガンダだろうか。
実際に何か起きて、アレが転がってしまったとき、国がどう動くか、見ものである。
転がった跡を見て、国も言い訳できまい。
紙面が「七転八倒」という言葉に染まることになるだろう。
ちなみに、まだ調べていないが、おそらく「アレ」の周辺は高低差がつけられており、もしものときにアレが転がるルートを確保、終点には穴が仕込まれているのでは、と考えている。