雪、ふたつ。

今日も夕方から雪が降り始め、あたりが暗くなる頃には、そこそこ彩られていた世界は、そこそこ手を抜いた世界になった。
こういう日の散歩は大好物なので、22時ごろ、家を出た。
森を歩く。
こういう日の森は、結構さわがしい。
木につもった雪の落ちる音だ。
とりあえず回転しないローリングソバットで、木を蹴りながら歩く。
遊んでいるように感じられるかもしれないが、木を蹴ることでつもっていた雪をふるい落とし、木が雪の重みで折れることを抑えているのだ。
足跡ひとつない広場に出た。
僕はここに侵入、足跡をつけるつもりである。
遊んでいるように感じられるかもしれないが、足跡をつけることで次の人がその足跡をたどれば雪に足を取られることなく、公園の中央部にまで到達することができるのだ。
一歩踏み出す。
おっとここで走り出してはいけない。
遊んでいるわけではないのだ。
乱れていない足跡でなければ、万事に影響する。
こんな雪の日に走っていいのは、犬、除雪車そして悪寒くらいだ。
少し、風邪気味なのである。

連休

ちまたでは明日から3連休となり、僕もちまたの一員として、3連休だ。
なんら予定を立てていない。人としてまずい状況。
あわててネットで宿を探すことにした。
ところが、ほとんど空いていない。
特に「一人旅」になると、全くない。
調べ方が悪いのだろうか。
でも二人以上だと、いくらかの宿が検索できた。
何がだめなんだ一人。
一人分なので儲からないのだろうか。
それとも旅行先で自殺をはかるとでも思われているのだろうか。
検索で絞り込みをするとき「温泉」や「貸切風呂」等のチェックボックスがある。
そこに「自殺」とあったら、率先してチェックを外すタイプだぞ、俺は。

つり革

電車でつり革につかまっているとき。
視線をもてあますことがあります。
広告は見飽きた。
カバンの中の本は取り出せない。
寝てるフリをするのも、なんだ。
前の座っているおっちゃんの詳細を知っても、なんだ。
遠くにぼんやり見える「シカクいアタマをマルくする」広告が、うらめしいぜ!!。
つり革の柄?部分に広告が付いているものがある。
あんな感じで、何かひまつぶし、視線を釘付けにするもしくは釘付いていても違和感の無いものを取り付けることはできないのだろうか。
迷路はどうだろう。
いや、あのスペースは限られている。
目が疲れ、電車に酔う。
あの、目の視点をずらすと立体的に見えるやつはどうだろう。
だめだ。
迷路と同様だ。
格言はどうだろう。
「右を見るという行動は、左も見るという責任を生じさせる バスロマン伯爵」
これなら、あのスペースでも問題ない。
興味を持つことさえできれば「あぁ、右な。そう、そうなんだな」と考え始めることで時間と視線をつぶすことができる。
ただ、隣で「でも、右を見るということは同時に左を見ていることにもなるんじゃないかな」とか考えている人がいると思うと、少しめんどくさい。
クイズはどうだろう。
「【となりの客は・・・】に続く言葉を入れよ」
これでも、スペースに問題はない。
普通に考えると「よく柿食う・・・」となるが、そこは意図をふまえ、色々やってみたいところだ。
「となりの客は、本当に15歳のときにバイクを盗んだことがあるということを押している客だ」
「となりの客は、40代後半の男。さっきから不味そうに酒をちびりちびり飲みやがる」
「となりに客がいると思ったんだが、気のせいだった」
いろいろできる。
ちなみに僕が最初に思いついたのは
「となりの客は、よくたで食う虫々」だ。

雪の降る町

あんまりそのときそのときを書くのも気がひけるけど。
この静けさは寝ようとしていた僕を揺さぶりおこし、それを書かなけりゃどうすんだという感じにさせる。
どうする?。僕。
雪が降っているからって、雪のことを書くのか?。
閉まっていた雨戸をあけた。
厚手のカーテンもあけた。
部屋の灯りを消した。
モニタの輝度、コントラストを最小限にした。
ヒーターも消した。
この部屋の灯りといえば、PCとスピーカ主電源の小さな青い光くらいだ。
ごめん。今、窓もあける。
スピーカから遺都シンジュク アレンジVerが流れてきた。
どうする?。僕。
雪が降っているからって、雪のことを書くのか?。
うん。
ローソンで売ってる「ホットケーキ生地の間にメープルシロップとマーガリンがはさまっているやつ」のことを書くか。
あれ。
あれな。
すごくうまいんだよ。
たぶん2ヶ月くらい、昼ごはんはあいつだ。
他のところにも「ホットケーキ生地の間にメープルシロップとマーガリンがはさまっているやつ」はあるんだけど、ローソンのはホットケーキのおいしさが違うんだ。
他のところのよりホットケーキホットケーキしているんだ。
ただ、すごくおいしんだけど、たまにメープルシロップがだだもれているときがある。
あれは食べるとき四苦八苦するから、やめてほしい。
つらいんだ。食べる姿が四苦八苦しているのは。
今、つらいといえば、この寒さだ。
窓、あいてんじゃねえか。
この寒さ。この静けさ。
温度と濃度の高い僕のからだにこいつらが浸透してきて、音もなくはじけそうだ。
スピーカからジムノペディが流れてきた。
ホットケーキ、腹持ちもいいが、話としてもどうにか持ったみたいだ。
雪のことを書かなくてよかったし、書けていなくてよかった。

飽きフラグ

ちかごろ、久々にカラオケに行った。
複数人で行くカラオケは難しいもので、あまりに有名な曲を歌おうとするとかぶるし、あまり最近のものだと知らない。
と言って超個人プレイに走ってしまうと、5分と空気がもたない。
そんな中、僕は昔CM等で流れていた曲に交え、ユニコーンのローカル曲「忍者ロック」を中熱唱し、大失笑をかった。
アニソンタイムでは「ロマンティックあげるよ」を、感じとしては「浪漫献上」的な音域で、マイクを通してつぶやいた。
そんな、アゲアゲカラオケだった。
使い方、あっているのだろうかアゲアゲ。
ところで、長時間のカラオケは「飽き」との戦いでもあることは周知されている。
歌っている横で飽きられるのは辛いが、そもそも素人の歌声で飽きが解消されるようであるならば、玄人は必要なくなってしまうだろう。
ということで、もうかなり色々な方面でやられているであろう、人間の行動に見る「飽きフラグ」を考えてみた。
・ケータイを見る(飽きフラグ:3本立ち)
挙げるのもイカンと思うが、これは外せないだろう。
だいぶ飽きている。
どのくらいか。
夜中2時半。
例えば誰かが歌っている最中に、飲みかけのジュースをこぼしてしまったとする。
「俺、ぞうきん借りてくるよ!!」
彼はぞうきんを借りに行き、そのまま帰ってしまうのである。
終電もないのに、だ。
・曲リスト本をペラペラしだす(飽きフラグ:2本立ち)
これも「飽き」がなす行動だ。
そして、ペラペラすると、キワモノ系の歌手や曲が見つかったりするので、ちょっと楽しかったりする。
飽きているものにとっては、ちょっとした刺激だ、キワモノ。
・リモコンの裏を見る(飽きフラグ:立ち始め)
些細な行動である。
だが、おそらく飽き始めに見られるこの動き。
いわば飽き滑走路のスタート地点で、確実に飽き始めていくことだろうそうそれは石が坂道を転がり落ちていくように。
リモコンの裏を見て、何かあるとでも言うのだろうか。
歌っている人はその点、問いただしてみてもよいだろう。
と、こんな按配だ。
とにかく挙げたらキリなさそうな、カラオケでの「飽きフラグ」。
でも、自分が歌うこととかで帳消しにできるなら、まぁいいよね。
ということで、カラオケに行った話に「飽きフラグ」のことを躊躇せず書く僕に、幸あれ。

旅行5

その国には「貸し本屋」があった。
上記の文章はなんとなく「天国の本屋」を思い出させるが、とにかくそこは貸し本屋だった。
嬉々として入店する。
あらゆるスペースに置かれた本棚に納められているのは、ほぼ漫画。
日本の漫画だらけなのだった。
見てみると、かなり最近のものから少女漫画、萌え系まで何でもござれ。
漢字の文化を色濃く残す国であるため、漫画の文字は全て漢字に置き換えられているが、それ以外はなんら日本の漫画コーナーなどと変わらなかった。
少女漫画コーナーには10歳くらいの少女。
カウンタには暇そうな店員さん。
そして店内を物珍しそうにうろつく日本人2人。
その時間、本屋はそんな構成だった。
異国の貸し本屋。
僕らはその味のある空間にほんわかしたか、そうでないか。
なんて書いてあるのかいまいちわからないタイトルから、漫画を当てるゲームに、迷惑で申し訳ないが興じていた。
その本の背表紙には確か「魔法少女」と書いてあった。
ドラゴンボールや鋼の錬金術師は難なく解答できていた僕らの快進撃は、そこの棚で停止した。
その、やたらたくさん該当しそうなタイトルを持つ本。
僕は、考えた。
その棚の雰囲気。
少し萌え系の集まった棚だ。
それに、何か日本の本屋の棚でも、同じような出版社の配置だったような気のする、棚だ。
別に僕は出版社の名前を全然知らないのだが、背表紙の上のマークが、見覚えのある配置だったのだ。
この貸し本屋の棚における本の配置が、日本の本屋における本の配置に近いとにらんだ僕が出した結論は「マジカノ」だった。
なんかわからないけど、見たことありげな本が並び、その配置でそこに「魔法少女」とくる、萌え系・・・。
読んだこともないのに、なんかわからないけど「マジカノ」だと思った。
しかしそのころの僕は「マジカノ」のことを「マジ(本気の)カノ(彼女)」のようなものと推測していた。
要は、マジカノに興味が無かった。
だから「魔法少女」が「マジカノ」なのだと思っていても、それらが符合しているのはせいぜい「少女」のところしかないと感じられたのだ。
それから2?3秒後、僕はすさまじい快感を得る。
「あっ!!、マジカノのマジって、マジックのマジだ!!。」
異国で、僕は興奮した。
友人に「これ、マジカノだよ!!。マジカノのマジはマジックのマジなんだよ!!」と何度も言う。
「それに、この本のならび!!。日本の本屋のならびと似ていて、そうだとしたらこのポジションはマジカノなんだよ!!」
友人が手にしていた「魔法少女」を奪い取り、奥付を見る。
「マジカノ」だった。
異国にて、
ならびより本を見極める。
マジカノのマジの意味を知る。
店員さんやお客さんがいるのに、マジカノを連呼する。
去年、一番うれしかった瞬間は貸し本屋で訪れることになる。
「僕は異国の地で、本の配置をたよりにマジカノを当て、マジの意味も知ったぞ!!」
たった一度きりの
しあわせがくるのだった。
追記
まだ、マジカノのマジの意味を確認していないので、もしかしたらマジックのマジではないかもしれません。マジカルとかかもしれませんが、まぁいいか。

まんが感

悲鳴で、飛び起きる。
トイレへ向かうと、便器付近で悲鳴発生源の母親が「も、も・・・」とか言って狼狽している。
床はびしょ濡れだ。
その光景で僕は全てを把握した。
まずはOKシーンから。
「わっ。トイレ元の水道管が壊れたの?。だから、水道の「元栓」を締めてくれってことね?」
そんでもってNG。
「えーっ!!。モモがトイレに流されちゃったの!?」
モモとは、うちの猫でして、まぁ一般的な猫ですので、ちょっとトイレでは流せない大きさだと思います。
僕の朝の脳は、NGでした。
・・・助からない。
モモは助からない。
しかし、おそらくどこかで詰まっているだろう亡骸でもいいから、もう一度抱いてあげたい。
まぁそんな風に、全てを把握した。
家族のものの話によると、僕は「元栓はどこだ!!」と一度だけ叫び、はだしのまま外に飛び出、元栓を締めていたそうだ。
そして「何があったの?」と聞く現状を知らない者に対し、僕は「モモがトイレに流された・・・」と弱々しく話したという。
※「そのもの あおきころもをまといて こんじきののに おりたつべし」
※元栓を締めるその姿は、今でも語り継がれている。
元栓を締める。
しばらくすると、その地面から伝わってくる冷たさを感じるくらい、僕は冷静になってきた。
それは「ちょっと、猫は洋式トイレには流れないんじゃないか」というのがまだわからないくらいの冷静さだ。
このとき、僕はふたつの奇跡を呪っていた。
ひとつは猫(モモ)がトイレに入ったということ。
もうひとつは、母親がトイレのレバー(おそらく大)をひねってしまったこと。
・・・モモよ、何故お前はトイレに入ってしまったのか・・・。
水面に映る自分が面白かったのだろうか。
・・・そう、お前は変なヤツだったよ。
そんなお前だって、今までトイレに入ったことなんてなかった。
それがなぜ入り、しかもそのタイミングで流れてしまうのか・・・。
母親も母親だ。
何か誤ったのだろうが、何でそんなときに流してしまうのか・・・。
奇跡が、ふたつ同時に起きるなんて・・・。
僕が、今回の騒動が、単にトイレの水道管が外れたことによる件であることを理解するのには、もう少し時間がかかった。
そして、それを知ったときの安堵っぷりといったら、なかった。びしょ濡れは、大変だったけど。
窓を挟んで家の中からはだしの僕を見たモモは、猫なりに恐怖していたようだ。
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ひとつおりこうになった。
「朝の脳は、時として「まんが感」である」と。
本件、冷静に考えれば、「まんが」の出来事だ。
しかし、朝、飛び起きた僕は、水道管を抑える母親が、元栓と言おうとしている光景より「まんが」を現実として把握してしまった。
昔、飼えなくなったからといってトイレに流されてしまったワニが下水道で成長、がおーとなる映画を見たことがあった。
今回の騒動にリンクしなくもない。
だが、何より朝だった。
朝のまんが感に、僕はやられてしまったのだ。
この騒動時、我が家付近を歩いていた人が「モモがトイレに流された・・・」という弱々しい声を聞いていたとすると、その人にとっても我が家は「モモという何かがトイレに流されてしまった」という、「まんが感」満載の、ファンタジーハウスとなる。
「まんが感」の拡大だ。

忙しい味

最近、おいしいラーメンがわからなくなってきた。
店でラーメンを食べる。
おいしい。
でもなんか、他のところと同じような、曖昧な感じを受けることが多くなった。
仕方ないかもしれない。
僕は味蕾に自信がないし、鍛えてもいないし、鍛えることができるかも知らない。
なんとなく、僕はそんな曖昧な感じを受ける味を「忙しい味」と名づけた。
おいしい、文句はない。
でも、うーん。
なんか、どこかでも同じようなのを・・・。
そんなのが「忙しい味」。
「ラーメン激戦区」ということばが生まれた頃、同じように誕生した味かも。

だるま

だるまがどのような状態で売られているか、気になってきた。
きっかけは「選挙で落選したため、目に墨を入れられることのなかっただるまたちがどうしているか」である。
そんなことを考えているうちに、そもそもだるまがどんな具合で売られているかが気になった。
「だるまは両目が入れられた状態」で売られていただろうか?。
今年の正月、近くで小規模な「だるま市」がやっていた。
見に行っとけば良かった。
だが確か、うつろだが普通に売っているようなやつ(だるま)の両目は、黒々と墨が入れられていた気がする。
ちょっとわからないが、たぶん入っていた。
でも、そうなると、選挙のときの目がないやつは何なのだろうか。
特注なのだろうか。
憶測で申し訳ないが、僕は特注だと思う。
なぜならば、特注しておかないと、作成者がうっかり目を入れてしまうからである。
作成者にとっては、だるまの完成がある意味目的達成であり、しかもそれがだるまに目を入れるという作業で遂げられるという、なんだか万々歳な感じだからである。
ということで、立候補する人はだるまを特注しなくてはならないということになる。
だるまの製造期間はどれほどなのだろう。
そこそこの期間が必要だとすると、立候補どうこう以前での発注をしなくてはならない可能性もある。
勘のいいライターは、まずはだるま屋に張り込むのだった。
いや、待てよ。
立候補する人は、だるまのことなんて考えている暇がないんじゃないだろうか。
そうなると、だるまについてはむしろだるま屋から注文を受けに訪れる方が自然ではないだろうか。
稼ぎ時なのだから。
選挙のことはだるま屋とそこに張り込むライターに聞けば、そう悪いことにはならなそうだ。
さて、今回の結論としては
「だるまの目は、マスコットやインテリアなどで用いられるような大きさのものには入れられているが、そこそこの大きさのものでは、買う人の目的意識などが高いため、目が入れられていない」
「だるまの目は、その大きさによって、入れられていたり、そうでなかったりするのだ。」
ということになる。
いや、ならない。
今回は「選挙で落選したため、目に墨を入れられることのなかっただるまたちがどうしているか」が気になっていたのだ。
でも、わかった。
そんなだるまたちは、だるま屋が夜な夜な回収しに来るに違いない。
捨てるわけにもいかないし、飾るわけにもいかない。目を入れることもできない。
そんなだるまたちを、稼ぎ時の過ぎただるま屋が引き取りにくるのだった。
そのときのだるま屋は、少し祭りのあとのような寂しさを感じているだろう。