相似

映画やテレビ、舞台などを見ていて困るのは、
「登場人物に、知り合いに似た人がいる」ことである。
「あ、あの人。平沢に似ているな。」
こうなったが最後、その登場人物は
「平沢に似た○○」となってしまう。
平沢に似た教師。
生徒といい関係を築いているようだが、それにしても目元が平沢に似ているな。
平沢に似た殺し屋。
そうか、殺し屋にも感情と言うものがあるんあっはは平沢はそんなことしねぇよ。
平沢に似た背景の石。
あれ、なんか人の顔に見えない?。しかも、平沢だ。
・・・あいつ、実家の酒屋継いだんだっけ・・・。
ちょっと、顔出してみるか・・・。
このようになってしまい、物語どころではない。
登場人物側に非はないように見えるが、本件のどこかに非があるとすれば、それは登場人物その人にほかならない。
このような状況を打破するには、登場人物の方が「世界の平沢」ともいうべき存在になることだ。
そうすれば、酒屋についた僕は「なぁ、平沢。お前ってあのドラマの人に似てない?。ほら、殺し屋の役の。」と言えるのだ。

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