「ファミコン、くにおくんのそれゆけ大運動会で友人の悪行に激怒。動作中のカセットを引っこ抜いて帰宅する」
俺にもそんな時代がありました。
でも今は、家の前で断りもなく5月くらいに出初式がやられたとしても、微笑んで見ていられる。
少し、心の海図が詳細になりました。
それでも、お好み焼き屋さんやピザ屋さんでときおり見られる「トッピン具」という表記には、殺意を抱かざるを得ない。
何考えてんだ、あれ。
見た目も、意図(あるのか、意図)も、口に出して言った感も、全てが爆弾だ。
これに関わった全てを消し去る能力を持っている。
くそう、何なんだ。
2人でお好み焼き屋に来店。
焼きあがるのを待つあいだ、おもむろにメニューを眺めだし「なぁ見ろよ、トッピングのぐが、具、だって」。
僕がもんもんとしているのは、上記のような話になったときに
「なにそれ」とそっけないことになる場合でも、
「え、うそ!!。ぐが具、って。面白いじゃん!!。おーい、みんな呼ぼうぜ!?」ということになる場合でもない。
2人がある程度お互いを知っているのなら、相手も
「あ、ほんとだ。何考えてるのかね」と合わせてくれるだろう。
※お好み焼き屋に2人で来るのは、それはお互いをそこそこ知っていなくてはダメだろう。
親密度でいうと「一方が読み進めている小説のネタバレを背後でぼそっと言い、じゃれあう(異性同士限定)」くらいの、一見度数に見えない新密度だ。
だが、そんな点でもない。
1人でお好み焼き屋に来てしまって、そのとき「トッピン具」を発見。
やるせない気持ちになる。
そんな点でもない。
もう、存在自体だ。
それは、万物に害のみを与えるもの、ことば。
救済の余地なし。
「トッピン具」は悪しき気を発しているのだ。
次回
「トッピン具」の意志における危険性

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