神だのみ

こないだ行った神社には、「核戦争を無くそう」みたいな石碑があった。
「え、それも!?。それは、そっちでやっといてよ。」
そう言われそうである。
追記
現在ネタについて、ほぼ神だのみ状態。

n、nimbusだと!?

小説や漫画などで、セリフを言う者の「言葉につまった感」「驚いた感」を出すために、よくセリフの最初の文字を発する、というのが見られる。
セリフとして
「私はそんなんじゃないからね!!。」というものがあるとすると、
「わ、私はそんなんじゃないからね!!。むしろ憎しみだからね!!。」となる。
日ごろより、人間は多少驚いたりしても、言うことの最初の文字だけを言うことないんじゃないかなー、と思っていた。
人にもよると思うが、どちらかというと「あ」とかの方がありそうだ。
でも、この「セリフの最初の文字言い」が明確にしてくれるものは非常に多いので、読者は大助かりである。
物書きの技法として、何か名前でもついているのだろうか、「セリフの最初の文字言い」。
気になるところである。
そういえば、もう一つ気になっていることがあった。
「セリフの最初の文字が「きゅ」とかだったら、どうなるか」である。
「セリフの最初の文字言い」としては、「き」が正しいのか、「きゅ」となるのか・・・。
このことは、さっき見てたテレビで「キューティーハニー」という言葉が出てきたので思い出したのだ。
「キ、キューティーハニー!?」なのか。
「キュ、キューティーハニー!?」なのか・・・。
どっちがより「言葉につまった感」「驚いた感」を表しているのだろうか。
口に出してみた。
「キ、キューティーハニー!?」
「キュ、キューティーハニー!?」
・・・わからん。
このセリフを言うのは、おそらく悪者なので、「おのれまたしても!!」を付け加えてみた。
「キ、キューティーハニー!? おのれまたしても!!」
「キュ、キューティーハニー!? おのれまたしても!!」
お、なんとなく「キュ」の方がいいような気がしてきた。
それにしても俺、すごくキューティーハニーが好きな人みたくなってる!!。
別例を考えてみよう。
「ミ、ミュータントタートルズ!?」
「ミュ、ミュータントタートルズ!?」
お、これはかなり「ミ」の方がいいように感じる。
やはり「ミュ」ってのは、ちょっとなぁ。
「キュ」だとそうでもなかったけど、「ミュ」だと、の「驚いた感」が損なわれる気がする。
「驚きつつも、「ュ」まで言ってるじゃん。」
同じ「ュ」なのに、その前の「キ」「ミ」でこうも印象が変わるとは。
これは、何か僕の後天的な何かの影響だろうか。
ゆで卵は白身が好きだし、「キミ、スモールライト浴びた?」とかいう心無いことを言われた記憶もないし、「キミキス」はやったことないし・・・。
どっちでもいいということなのだろうか。
それとも何か決まりがあるのだろうか。
とりあえず僕は「セリフの最初の文字言い」を使用する際、「小さい文字(拗音・促音とか言うらしい)」の有無を決定しておこうと思う。
・・・ということで、結論の出ぬままの終焉となりました。
ごめんなさい。
じゃ、じゃあね!!。

48/

読売新聞、チラシに混じってる小さい新聞のような情報冊子より。
AKB48、紅白出場。
「48人にしかできないパフォーマンスを一生懸命やりたい。」と語る。
あっている。
全然問題ない。
しかし、48人にしかできないパフォーマンスをやられたら。
今でも誰が誰だかわからないのに・・・。

軽傷

ニュースなどで事故の報道がなされたとき、耳にするのが「軽傷」である。
この「軽傷」。
我々、事故の当事者ではない側の人間に与える印象について、かなり正確に形容できているシーンを、僕は知っている。
「おもいっきりテレビ」あたりで事故のニュースが流れたとき。
アナウンサーが事故の惨劇を伝えつつ、運転手が軽傷で済んだことを口にした瞬間の、スタジオ。
残念な事にその場にいたことは一度たりともないのだが、あの感じが「事故の当事者でないものたちの、軽傷」だと思う。
安心したときに出る、ため息。
我が事のように安堵する。
「なんだかんだ言って、命があってよかったネェ、ホント。」
お前はちびまる子か。
そりゃ「事故が発生し、一車線分、全滅でした。」とかはいやだけど、そんなに「よかったよかった」を出さないでもいいと思うのだが。
「いろいろ大変だとは思うけど、命あってのものだねじゃない!!」
とにかく「軽傷」という言葉が我々に与えるのは、そういったものである。
これって、怪我をした方にとっては、ちょっといやかも。
「軽傷」とタイプすると、ご丁寧に「全治一ヶ月未満」というコメントがでた。
全治一ヶ月。
通院等を含めた期間だろうが、結構しんどいのではないだろうか。
「軽傷」が第三者に伝えていることは「当事者が軽傷をおった。」
これだけ。
これだけである。

カバー

文庫本よりは大きく、ハードカバーよりは小さい。
そんな大きさの本を買ってしまった。
このような大きさの本に既製のブックカバーをあてがうのは、難しい。
事実、僕の持っているカバーは役に立たず。
無理に役立たせようとすると、ぱっつんぱっつんになってしまう。
なぜ、そんな規格外のサイズにしてしまったのだろう。
見栄だろうか。
文庫本を作成する過程で、予定していたページ数が少しだけオーバーしてしまったためだろうか。
ブックカバー業界の陰謀だろうか。
反ブックカバー業界の陰謀だろうか。
まぁ、いいのだが。
ところで、この微妙なサイズの本に対する不信感の度合いは、そのまま本屋店員さんのする、紙カバーにおける重要性のそれに変わる。
店員さんは気付いているはずだ。
「あ、この本、微妙にでかい。」
本屋大賞の審査項目に、紙カバーのかけやすさとかは入っていないのだろうか。
入っていたとしたら、微妙な大きさは、プラスなのか、マイナスなのか。
まぁ、いいのだが。

罵倒差・2

昨日からの続き。
【あらすじ】
レズビアンな二人と、そのうちの一方を愛した男性。
レズ友を取られそうになったひろ子は、ゆうじを激しくなじるのだった。
7942「今日はクリスマスだから、話し合うのはいいとしても、ケンカはやめようよ。」
ひろ子「そんなこと言ったって、彼はあたしのかおりを奪おうとしているのよ!!。」
ゆうじ「好きになったんだ、仕方ないじゃないか。」
ひろ子「この、メス豚が!!。」
7942、200712/24の「男にメス豚はよくないんじゃないか」という話をひろ子に聞かせる。
ひろ子「そ、そうね、論点がずれたわ。」
ゆうじ「でも、かおりも僕のことを好いてくれているよ。」
ひろ子「おめーがたぶらかしたんだろ!!。この、どろぼうネコ!!。」
7942、200712/24の「どろぼうネコってのも、ないよね。」という話をひろ子に聞かせる。
ひろ子「そ、そうね、高ぶりすぎたわ。」
ひろ子「ちょっと7942、じゃあ、どうやってこの男を罵倒すればいいのよ!?。」
7942「昨日、それについて考えたんだ。箇条書きにしてみるよ。」
◆「この、オスカマキリが」
:オスカマキリがイメージさせる悲しい運命が、相手の心をブレイク!!。
でも、悪いヤツっていう感じじゃないね。
◆「そろそろ、はやにえな!!」
:もずのはやにえをこういうふうに使うのは、僕が初めてかも。
つまるところ、死ねってことだね。
でも、言葉として間違ってるかも。
◆「この、恋のピッキング犯が!!」
:昔、この曲名で作詞したことがあるのを思いだしたんだ。
歌はモーニング娘。を考えてたから、だいぶ昔だ。
7942「でも、昨日はクリスマスイブだし、今日はクリスマスだ。はやにえのこととか考えているのも、悲しいじゃない?。そんなことしてるんだったら、今日「クルシミマス」っていうワードが、どれほどのブログ、日記で使われているかを調べたりした方が楽しいんじゃないかな。」
ひろ子「・・・そうね。今日くらいは。」
ひろ子「私も、かおりの好きになった男がはやにえてしまうのは、忍びないわ。」
7942「そうだね。じゃあ、検索してみよう。」
ゆうじ「あんま、なかったよ。」

罵倒差

最近いやけっこう前から、お昼の連ドラは濃度の高い人間関係がポイントとなっているそうだ。
今やってるものなのか昔のものなのかは不明だが、聞いた話によると「レズビアンな二人と、そのうちの一方を愛した男性」によるサクセス(サクソウ)ストーリーがえらいことになっていた、とのことだった。
レズビアンの相手を男性に取られそうになった女性役は、かなりの怒りっぷり演技を披露。
それが奥様方の五臓六腑をつかんだらしい。
どうやら人間には、様々な愛のかたちがあるようで、その点でなんら言うことはないのだが、この話で気になることもある。
相手を取られそうになった女性が男性に対して、どのように罵倒するのだろうか、という点である。
例えば、僕らが慣れ親しんだフレーズとしては「このメス豚が!!」「このどろぼうネコ!!」が最優良2トップである。
しかしこの2トップ、どうも男性に対してだと少し論点がずれている気がしないでもない。
例えば、男性はオスであるため、「このメス豚が!!」だと相手に自分のことであると気付かれない可能性がある。
ということで「このオス豚が!!」という改善が必要となるのだが、これでは、体で恋人を奪った憎き男、という感じはしない。
同時に、そもそも豚が、人間にとって何か卑猥なものを思い出させる動物であるかというと、そうでもない点に気付く。
かなり清潔好きな動物であるらしいし、ピッグでありポークでありベイブである。
何故、このフレーズが2トップ枠を獲得できているのかに疑問が生じるところである。
また、黄金の右足を持つ「このどろぼうネコ!!」だが、どうしてもネコという点で、女性に対してのみ効力を発揮する感じがする。
もちろんネコが人間にイメージさせやすい、妖艶な雰囲気を持つ男性もいる。
しかしこのフレーズは、この長い人類の歴史の中で、女性(とドラ猫)に対して使われた回数が多すぎるのである。
もはや、男性に対して使われた場合に生じる違和感を消し去ることはできない。
このような背景より、一般的な罵倒フレーズは今回のシーンに使うことができないはずだ。
なんて言ったんだろう・・・。
イブなのに、そんなことは考えたくないよ・・・。
つづく。

熟れどき

にわとりに「半熟卵」のことを話したら、それは激怒するのではないだろうか。
もちろん自分達の子供である「卵」に対しての、人間の残虐非道な行動についてもそうであるが、何よりもそのネーミングに腹立てるのではないかと思う。
半熟。
あれを半熟とするならば、完全に茹であげてしまったものは「完熟」だろう。
明らかに人間サイドの都合のみ、考慮された名前だ。
また、茹であげたものが「完熟」であるなら、必然的に手を加えていないものは「未熟」となる。
「コッコーコ、ククク(なんで他人の親に、我が子をそんなふうに言われなくちゃいけないのよ!!)」
とさかが真っ赤だ。

垂れ

どうも、よく喋るときの自分が、嫌いだ。
やたら悪意のある暴言を吐く相手と話をしていたとき。
「ちょっと、あんまり汚い言葉は使わないでください。」
「あ、なんだよ、汚い言葉って?。」
僕は思わず、こんなことを言いそうになった。
「口からクソが垂れてるってことだ。」
でも、これはどこにラインを引くか、というかなり個人差の予想されるものだ。
そして、僕がやたら喋るときは、どうなんだ?、とも思う。
僕としては、市長から表彰されてもおかしくないんじゃないか、と思うくらいの話をしているつもりでも、結局相手はつまらないかもしれない。
こんなとき、僕は
「口からごちそうが垂れてる」
のかもしれない。
何気に自信あるんじゃん!!、と思われるかもしれないが、結局は垂れているのである。
多くの偉い人が言うように、「無言」ほど意味深いものはなく、「間」ほど物を語っているものもないのだろう。
なんたって、垂れていないのだ。