変形2

昨日からの続きです。
【あらすじ】
映画版トランスフォーマーが文庫本になってるんだけど、
活字で変形シーンはどうなっているんだ!?。
眠いが、考えてみた。
【シチュ】
目の前に現れた戦闘機が突然ロボに変形。
襲い来る敵ロボに、絶対絶命のふたり。
そのとき、近くに駐車していた自家用車が動き出した!!。
・登場人物
主人公:スティーブ
ヒロイン:桜子
味方メカ:コンボイ
敵メカ:プロペラー
?その1 人間の動体視力には限界がある編?
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その、目の前に現れた戦闘機は
目にもとまらぬ速さでロボへと変形した!!。
プロペラー「げへへ」
桜子「ロボよ!!」
スティーブ「逃げろ!!」
桜子「だめ、ロボが素早い!!」
そのとき、近くに駐車してあった自家用車が、
やはり目にもとまらぬ速さでロボへと変形した!!。
コンボイ「どうも、ぼくです。」
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いろいろ描写できるところを、あえて「目にもとまらぬはやさ」で
統一し、人間の限界感を表わしてみました。
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?その2 納得いかない比喩編?
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その、目の前に現れた戦闘機は、まるで蝶がさなぎから
羽化するかのように、ロボへと変形した!!。
プロペラー「早く無限エネルギー増幅器を渡せ!!」
桜子「あれは人類の宝よ!!」
スティーブ「そうだそうだ!!」
桜子「あ、あれを見て!!」
そのとき、近くに駐車してあった自家用車が、まるでまるむしが
防御を解くかのように、ロボへと変形した!!。
コンボイ「こんにちは。」
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「せめて虫以外で比喩れよ!!」という感じ。
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?その3 かぶせるほどでもない編?
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その、目の前に現れた戦闘機は、まるで蝶がさなぎから
羽化するかのように、ロボへと変形した!!。
それは本当に、蝶がさなぎから羽化するかのようだった。
プロペラー「キルユー!!」
桜子「気流が、どうしたって言うのよ!!」
スティーブ「気流が乱れていたからって、ロボになることはないだろ!!」
桜子「き、気流のことじゃ、ないっぽくね?」
そのとき、近くに駐車してあった自家用車が、まるでまるむしが
防御を解くかのように、ロボへと変形した!!。
それはまさに、まるむしが防御を解くかのようだった。
コンボイ「こんにちは。」
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かぶせるほどでもない感じ。
やーん。意外と楽!!。
楽だったので、明日も楽します。
続く。

変形

「トランスフォーマー」というと、やはり近頃やった映画のことになるだろう。
確か何か、すごく細かいものがわっさーってなって、ロボットに変形するシーンは、すごく細かかった。
やたら言葉足らずな文となったが、実際に、あれは形容しがたい細かさ。
ときめく細かさである。
ところで、ある年代の人間にとっての「トランスフォーマー」はファミコンゲームであり、アニメであり、キコカキコである。
ファミコンゲームは「コンボイの謎」とかいうタイトルで、間髪を入れずに主人公が破裂していくゲームだった。
僕はこの、やたら難易度の高いゲームを「無敵アイテムを取って火山の玉を壊し、高得点を得る」方法でクリアしていたような気がする。
もしこのゲームをクリアしないと家族が危ない、とかいう状況になったら、どうか「無敵アイテムを取って火山の玉を壊し、高得点を得る」方法を思い出してもらいたい。
キコカキコは、アニメ版の彼らが変形するときに発する効果音で、それ以上それ以下でもない。ただ、知っているとなんとなく言いたくなる。
また、合コンなどで何かの線を頼まれもしないのに超えてしまったとき「よーし。本当の自分、出しちゃおうかな!!。キコカキコ!!。」などと言うと、後ろに座っているサラリーマンが振り向く。
前置きが長くなってしまった。
このあいだ本屋をのぞいたとき、「映画 トランスフォーマー」が文庫本であった。
僕は、映画版トランスフォーマーは、やはりどうしても変形シーンだと思う。
本では、どのようなことになっているのだろうか。
ああいう変形をどのような形で表現しているのだろう。
一つも面白たとえが浮かばないまま、明日の僕へ託す。

えびにギプス

えびは、外敵から逃げおおせるために、その尻尾(腹?)を増強し、びょーんと後方へ移動する手段を得た。
しかし人間にとっては、その増強部分がおいしい。
今紀、えびはかつてないジレンマの真っ只中なのである。
「人間は道具とか使って、僕らを一網打尽にするからな・・・」
えびが次にびょーん機能を失うことを進化の道として選ぶなら。
ちょっとした問題となるだろう。
漁師がわが目を疑う。
「か、母ちゃん、これ見ろよ!!。え、えびの尻尾が・・・。」
たこはわが触手を疑う。
「お、お前、どうしたんたこ、その尻尾・・・。」
彼らは、えびの価値であった尻尾が見るも無残な状態になってしまったため、驚き、困惑したのだろうか。
僕は違うと思う。
えび本来のアグレッシブさは、全てあの尻尾に集束しているのである。
はじけてないえびは、悲しすぎるのだ。
屈強な大男が皿を前に右往左往してこそ、えび。
おがくずをはねのけて暴れるこそ、えび。
だから、だらりとした尾を引きずるえびに、漁師ら、たこらは涙する。
しかし、この悲しみはえびにとどまらない。
かには、外敵と戦うもしくは防衛のために、その腕を

「しびれるくらいが、う、う・・・ま・・・」

昨日のやつで思い出した。
どこかで読んだ、ふぐ。
「ふぐは舌に乗せて、少ししびれるくらいがうまい。」と語った本があった。
ふぐと人間のあいだに生じる食欲、生死を綴った話は真偽わからないものも含めて数多く、この話も本当なのか、冗談なのか。
ふぐ刺しを食べたことがないのでわからないが、この料理も裏打ちされた「安心感」があってのものだろう。
まぁ、この話で気になることといえば「しびれ」の部分。
彼らの毒は「テトロドトキシン」という、なんとなく口に出して言いたくなる面持ちのやつだ。
ただ、口に出したくはなるが、実際に口にしてしまうと、主に神経系の機能障害をもたらすはず。
ところが彼は「少ししびれるくらいがうまい」と言う。
ばっちり効いてしまっている。
「ふぐは舌に乗せて、少ししびれるくらいがうまい」が彼の辞世の句であったかどうか、気になるところだ。

醗酵、腐敗は置いといて

味覚というものが「あるものを食するとき、その栄養価や危険性を判別する機能である」と言えるなら、駄菓子屋で蛍光色のすもも漬けを飲むほっぺうずまきの子供たちは「味覚ヒエラルキー」のかなり上に位置する生物であると言えよう。
一般的に「腐ったもの」は酸味を帯びることが多い。
腐っている可能性のあるものを100%安心し、楽しむことができようとは。
専属のシェフと毒見係を従えた英帝(勝手に造語)である。
同時に、ビアガーデンでビールをたしなむネクタイはちまきの赤ら顔たちも、上位だ。
あの発泡による刺激で、人間の脳内はどこかで「コレはやばい。すごく刺激が来ている。ノムナ!!。」信号を発しているだろう。
しかし、その信号を抑制し、むしろ楽しむことができるほどの絶対的安心感がそこにはある。
その安心感は元来「ほっといたのを飲んでみたんだ。すっぱいけどおいしかったよ。死ななかったし。」みたいなヤツがいてこその賜物だったはずだが、今ではその役目は主に商品名や詳細な表記に代替されている。
「すし酢」と書いてあれば、それを舐めてみてすっぱくても腐っていることを危惧したりしないのだ。
※ちなみに、もし「すし酢」と書いてあって、それがサラダ油だったら、頭はすし酢フラグが立っているため、うわーってなる。
また、基本的にサラダ油だけを舐めたら、うわーってなる。
「すもも漬け」と書かれているから、やたら甘酸っぱくても「何かへんなことになってる」とは思わないし、「ビール」と書かれているから、「誰かが毒盛った」とは思わないのだ。
だからパッケージに「すもも漬け?」と書かれていたら、会社のお客様窓口は、色々と2割増しになる。
「ビールー」と書かれていたら、「なんか、しゅわしゅわするんですけど!!」という電話が2件くらい来る。
そして多くのメディア(VOWなど)で取り上げられる。
結論
すもも漬けって食べたことないんですが、あの汁、飲むものなの?。

旅行1

飛行機のやつ。
あいつは、すごいね。
あの大きさ、質量で。
飛ぶときのあの加速度。
いいのかね。
でも、やるときはやるやつだ。
飛行機がやる気を出してから数十分。
機内は暇だ。
それは既に察しているようで、各席にはモニタがあり、映画等が見られる。
仕方がないので、放送リストを目にする。
どうやら映画以外にも音楽番組、バラエティなどがあるようだ。
ひとつ、気になる番組があった。
ラジオのように、映像のない番組らしいのだが「お笑いものまねコンビ」が出ているのだ。
映像のない「ものまね」番組が、どのような嗜好に合わせたものなのか、僕にはわからない。
心象的には、番組の終わりに「実は、本人たちがやってました?。」となると「なかなか、あなどれないな」と言えるのだが、そんな局所的なニーズにあえてお答えする上空1万メートルとも思えぬ。
視聴すれば済む話なのだが、あいにく次の配信までには時間がある。
その時間を待つほど、僕はお人よしではない。
機内の人は、本を読んだり寝たり、窓から外を眺めたりと急がしいのだ。

皮、あまっちゃいました

いまさらながら「甘栗むいちゃいました」という商品名はすばらしいと思う。
例えば、これが「甘栗むいてみました」だと、少々相手に「食べろよ」的な意図を感じさせてしまう。
※類似商品で既に「むいてみました」があったら、ごめん。
「甘栗ぬがせちゃいました」だと、なに考えてんだとなるし、
「甘栗加工しちゃいました」だと、そうだねとなる。
「甘栗にルカナンとなえちゃいました」だと、わかりづらいし、
「甘栗の皮について、北風ではなく太陽にたのんじゃいました」だと、さらにわかりづらい。
「甘栗たべちゃいました」だと、なんだが事後報告だ。
「白目むいちゃいました」だと、まずはむいたのは本人なのか、それとも別の人なのかを調査する必要があるし、
「一肌むいちゃいました」だと、人をおだてるのがうまそうだ。
もういい?。
とにかく、意図という点において「むいちゃいました」は「たまたま暇で手持ち無沙汰だったから、ついついむいちゃったんだけど」くらいの感じで、相手にどうこう強制していない。
そう。
「ついつい」がいい。
すごくいい。
ところで人によっては、「むいちゃいました」は「むいちゃったんだ。とりあえずテーブルの上に置いておくからね」くらいのニュアンスまでを感じさせるかもしれない。
ここまで感じてしまうと、相手をどうこう(まぁここでは食わせることだよね)する強制力生まれてしまう。
例えば相手とケンカし、仲直りムード矢先の段階での「むいちゃいました」は、「何かい。テーブルの上に置いておくから、食べろってのかい」というようなふうに取られてもしまいそうだ。
ただし、先ほども書いたように、僕はそういうものを感じない。
「むいちゃいました」はなんら意図を持たないし、周りに影響を与えようとしている言葉でもない。
そこらにある小石とように釈然と、ただ堂々と存在するだけ、という感じ。
彼らが商品棚に並んでいるのは、少し神々しかったりする。
食べたことないですが。

煮カルボナーラ

東京都立川市にはラーメンスクエアと呼ばれるところがある。
うすうす感づいてはいたのだが、近寄ってみると確かにラーメン屋があった。
いくつもあった。
最近オープンしたラーメン屋は、名前は忘れてしまったが、なんだかイタリアンを前面に押し出した店。
ラーメン屋さんでトラットリア(個人的にはドムットリア)とは、これいかに。
ギャップである。
店に入ると、店員さんがビンに入った冷たい水を持ってきてくれた。
イタリアンがこうかどうかは知らないけど、「何かを目指してます!!」みたいなものを感じることができる。
その何かとは、おそらくイタリアンなのだろう。
服装もシェフ的だった。
カウンタに、ミニメニューが置いてある。
見てみると、メニューの先頭が「昔の味の煮たまご」だった。
イタリアンで煮たまごはどうなんだろうか。
ジェシカおばあちゃんとかなんだろうか。
この煮たまごのくだんにより、先ほどの感慨深いイメージは、一気に現実に引き戻される。
ここはあくまで、イタリアンを夢見るだけの
ラーメン屋なのだ(ラーメン屋なのだ)。
しかし、そのメニューには、こちらの結論にもかかわらず、コース料理やらディナーやらワインやらのことも詳しく記載されている。
ここは、どこなんだろうか。
ラーメンとイタリアンのはざまで。
ギャップギャップである。

補集合愛

駅のホームには、以下のようなゴミ箱が設置されている。
「新聞・雑誌」
「カン・ビン・ペットボトル」
「その他のゴミ」
どうだ?。
「その他のゴミ」の包容力に驚かされたのではないだろうか。
何なんだ、この「なんでもこい」という度量の広さは。
「僕は、駅のゴミ箱の種類でいうと「その他のゴミ」になりたいです!!」
このような人物は、後々頼れるヤツになるだろう。
近くにいると少々困るタイプだが。

代名の性2

昨日。
【あらすじ】
青酸カリといえば、メッキ工場である。
だからって「容疑者 メッキ工場勤務」は、どうよ?。
物語上の何らかの理由で、犯人は青酸カリを使わねばならなかった。
※理由
効力。
視聴者に与えるインパクト。
わかりやすい毒物。
そんな場合に、メッキ工場勤務者は重宝される。
彼はだいたいお金に困っており、真犯人にそこをつけこまれる。
そして「お前は用済みだ」とかなる。
現実のメッキ工場勤務者は、こんな物語をどう思っているのだろう。
「ちゃんとシロタマ(こう呼ばれていると勝手に憶測)は管理されているんだ」
「私たちは善良な国民だ」
抗議しようとしても、人々は「あぁ、あの青酸カリが無尽蔵に手に入る人たちね」と思われてしまい、聞き入れられないかもしれない。
物語の印象の方が勝っているのだ。
よく、人が集まってディスカッションする感じの番組では
「少数の悪い教師のせいで、日夜一生懸命働いている多くの教師のイメージが損なわれることが悲しいですね。」みたいなことが言われる。
このことは「メッキ工場勤務者」にも当てはまるのだ。
「少数の悪いメッキ工場勤務者のせいで、日夜一生懸命働いている多くのメッキ工場勤務者のイメージが損なわれることが悲しいですね。」
このフレーズの何が悲しいかって「少数の悪いメッキ工場勤務者」は、いまのところ物語上にしか存在していないことである。
現実とはもちろん違うのはわかっているけど。
払拭できないイメージ、メッキ工場と青酸カリ。
「メッキ工場勤務イコール青酸カリ入手ルート」を構築した人は、2つの言葉が持つ絶妙なバランスを消費者好みに変えた点では素敵だが、一方で悪でもあった。
※青酸カリは必中必殺の毒物ではないらしい。
迅速で的確な対処ができれば、ほぼ完治するとか。
しかも産業的にはシアン化ナトリウムのほうが利用されている、とのwiki情報。
冒頭の「物語上の何らかの理由で、犯人は青酸カリを使わねばならなかった」は、だいぶ理由があった。