くだん3

昨日からのつづき
【あらすじ】
パクチーのようなものを食べた。
おとといからの流れをまとめてみると、
1.僕はフォーを食べた。
2.くせのある青葉があった。
3.僕はパクチーだと思った。
4.けど、決定的なパクチー判定ができない。
5.僕はパクチーのようなものを食べた。
となる。
恐るべきは3.である。
前回も書いたように、僕は「ベトナム料理に入っている、くせのある青葉」という点から「パクチー」ではないかと推測した。
これは本来「パクチーを食べたら、やたらくせがありました。そうですか、ベトナム料理に多く使われるんですか。」とされなければならないと思う。
すなわちパクチーは、その食材自身に出会う頻度に対して、そのイメージに触れる頻度がより高い。
言い換えると、この食材は味覚から接することよりも視覚、聴覚から接することが、先になっている場合が多いのだ。
パクチーを食べる前に、既に何かのメディアでパクチーの詳細は伝えられてしまっている。
それは視覚から得れらたものかもしれないし、聴覚かもしれない。
「ウチくる!?」の中山秀征から得られたかもしれないし、「クイズところ変れば!?」の、画面外から伸びてくる手の持ち主の想像イメージがあなたの脳に直接感じさせたのかもしれない。
とにかく、味覚以外の感覚で、人は「パクチー」に触れている。
そしてそれは、本来味覚でしか獲得し得ないような、強烈なイメージを人に植え付ける。
パクチーを食べたことはないが、「それはベトナム料理に入っている、くせのある青葉である」ということに、うなずかない人はいないだろう。
経験の有無に関わらず、そのイメージのみが、ただ息づいているのである。
それが経験ののち、それ自体には左右されずに具現化する。
これは、なかなか怖いことになっているのではないだろうか。
パクチーイメージ、恐るべし。
逆にいうと、今回はパクチーでよかった。
経験に対して先行しているのがせいぜい「くせがある」という「味覚」程度だけだったから。
それ以外の、まぁ「嗅覚」を除いた感覚でそのようなことが起きたら。
いや、既に起きてるかも。
目の前の料理が僕にこんなにも恐怖を与えるとは。
どんぶりを見る。
もう、からになってずいぶんたつのだ。

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