天狗軸

ずいぶん長い間気になっていた漫画をやっと手に入れた。
それをペラペラめくっていると、こんなシーンがあった。
「忍者屋敷にありそうな、回転する壁を押し回す主人」
この「回転する壁」というのは、思わぬ襲撃にあったときに身を隠したり、隠し財産などを保管する場所への入り口にあったりと、様々な用途に使われる。
そのギミックの面白さゆえ、ドラマや映画などでは結構見かける。
しかし、現代において「今もコイツ、現役です」という場所は、ないだろう。
さて、僕は漫画のそのシーンで、感嘆した。
その、回転する壁には「天狗の面」が飾られていたのである。
全然気にしていなかったが、絵で見ると、わかる。
回転する壁には天狗の面がすごくよく似合う。
いろいろ考えた。
掛け軸?。
確かに悪くない。
絵画?。
ありそうだ。
般若?。
かなりいい。
でも、やはり天狗だ。
圧倒的だ。
ただ、今の感覚で考えると、何かを隠したいと思っている場所に天狗の面は、ちょっと冒険心あふれすぎているのではないか、と思われる。
しかし、おそらく昔の人や隠し財産を持っている人にとってのそれは、壁を傷つけてしまったときの補修跡や、ビールジョッキを持った水着の女性のポスターのようなものなのだろう。
ところで、隠してある何かを探すのが目的の人々にとって、この一般人と隠し人との差異は重要だ。
探し人が一般人と同じ感覚の持ち主だったら、壁の天狗に違和感をおぼえるだろう。
だが、隠し人と同じ感覚だったら、天狗に違和感をおぼえない。
それどころか、探している間に天狗を井上和香のポスターに変えても気付かない。
そんなものだ。
よって隠し人は、回転する壁に天狗を飾るべきではなく、ヘルメットや妻のパッチワーク作品、息子の5歳のときの絵などを飾るべきだ。
また、壁の端に「PUSH!!」と書かれたシールを貼ったり、手形のマークとそのそばに「ここを斜め45度に押す」という説明などがあったりすると、なおよい。
さらに、回転軸が大幅にずれ、ほぼただの扉になっていたり、回転の半径と部屋の広さが合っておらず、壁を押し回すたびにもう片方の壁がガンガン他の壁に当たる仕様だったりするのが、すごくよい。
そして、その跡を探し人が不思議がっているときの隠し人の心境を考えるのが、ここちよい。
追記
回転する壁の、どの位置に天狗の面をつけるのかを考えるのも、ちょっとおもろい。

元祖3

昨日からのつづき
【あらすじ】
パイレーツオブカリビアンに、その歴史、変遷をつけてあげて、元祖っぽさの増加を手助けしてみよう。
「元祖 パイレーツオブカリビアン」がパワーアップすると、こうなるだろう。
================================
パイレーツオブカリビアンのみんなだって、生まれたときから海賊なんかじゃなかった。
ジョンなんて、ちゃんと学校に行っていたしな。
でも、政治や貧困が、俺たちを海賊にしちまったんだ。
俺たちは生きるために何でもやった。
目に留まる船舶は全て根こそぎにしてやった。
なわばりを広げるために戦いもした。
潮と火薬、そしてこげた血のにおい。
そんな生活を通して、時は過ぎていったよ。
過酷だった。
過酷だったけど、楽しかった。
ところが時代は変わったよ。
海賊家業はあらゆる面で「割に合わなく」なってきたんだ。
だってそうだろ?。
誰だってしばり首にはなりたくないもんな。
それに船は、食料や水不足、そして遭難と危険がいっぱいだ。
船長だって船員だって、そのことを考えるとおかしくなりそうだ。
陸地で働いた方が、稼ぎもいいし、何より安全なんだよ。
そんなことを感じ出したら、俺たちだってそうさ。
最初に言ったのは、ジョンだった。
「俺、船を下りるよ。」だって。
みんな必死に止めたんだ。
自分に言い聞かせるように。
すると、ジョンはこう言ったんだ。
「お前ら黒ひげ危機一髪を笑うけど、あれは今の僕らのことなんだよ!!。」
誰も、何も言えなくなったね。
俺たちも、海賊を辞めることにした。
他の賊のやつらもそうだった。
そして、そんなふうにして海賊は減っていくと、海賊組合も成り立たなくなる。
全てが、終わったんだよ。
ある日、俺は小さなスパゲティ屋で昼食を取った。
「ハーブと潮風のパスタ」。
海賊家業を忘れるために「海、潮、波、塩、魚貝、魚介、眼帯、フック」という単語を避けていたんだけど、気が緩んでいたんだろう。
なんとなく注文してしまった。
ずいぶん海、海賊関連には触れていなかったけど。
だめだね。
それを一口したとき、全て思い出してしまったんだ。
海賊の日々を。
そして、恋しいんだ。
潮風が恋しい。
甲板の大ダルが恋しい。
どこで手に入れたかは覚えてないけど、頭に巻くしましまのバンダナが恋しい。
まるひげが恋しい。
ロープでぐるぐる巻きにされて、重石を付けられたまま海に突き落とされそうになった仲間の顔が恋しい。
気が付くと、パスタを食べた日に、俺は船を手に入れていた。
一度は改心した身だったけど、もうあとには引けなかった。
一週間前、波止場で出航の準備をしていた。
そんな俺のところに、ラルクが来た。
誰にも連絡なんかしなかったのに。
驚いたけど、うれしかった。
そして、このサプライズは、終わらなかった。
スティーブンソンが来た。
スカルプも来た。
そして、ジョンも来た。
準備が、整ったんだ。
俺は、家族に「海に出る」と書置きし、旅立った。
知ってるかい?。
俺たちがよく言う「ヨーホー」には「我らに自由と栄光を。つらぬけ、己の精神を。」っていう意味があるんだ。
俺たちは自分らしく生きるため、再び海に出たってわけだ。
そして今。
俺たち、元祖 パイレーツオブカリビアン。
================================
長いなカリビアン!!。
元祖、おわり。

元祖2

昨日からのつづき
【あらすじ】
「元祖」って名乗りたいなら、競争相手がいなさそうなカテゴリを狙おう。
前回の話によって「逆回転扇風機」の元祖の座を手に入れることができた。
しかし、問題がある。
競争相手がいないようなカテゴリであるため、そもそも知名度が低くなってしまうのだ。よって「逆回転扇風機」には「企業の自己中心」的な空気がそこはかとなく漂う。
逆に「元祖」が裏目に出てしまってもいる。
この問題点は、以下のコピーテクニック語句で解決できるかもしれない。
・あの
・日本上陸
ちょっとレベルの上がったものとしては、
・○○が愛用
・ちょっとした歴史、変遷
これら4つを用いて「逆回転扇風機」を試してみよう。
「元祖 逆回転扇風機」
「あの80年代の代表的アイドルグループ「プチトマト」のボーカル、オリーブも愛用した!!。元祖 逆回転扇風機が日本上陸!!。」
くどい上に結局うそ、さらに元祖がいらなくなってしまった感ありだが、それでも商業的、広告的には映える、特にある種の雑誌の裏表紙などには映えるものになったのではないだろうか。
※特に「あの」は、全然「あの」と言われなくていいものにでもつけることができる、良心的なやつだ。
では次に、前日のパイレーツオブカリビアンのくだりに上記テクニック「歴史、変遷」を適応してみる。
つづく。

元祖

隣の席にいた人が、相手にこんなことを言っていた。
「パイレーツオブカリビアンは、ディズニーが元祖だよ。」
確かに、ディズニーランドにはそんなアトラクションがあったはずだ。
でも、何のきっかけもなしにディズニーがこう言ったとは、考えづらい。
「なんかわからないけど、カリブ海の海賊について、その生き様をアトラクションにしようじゃないか!!。」
上記のような発想は、ちょっと神託とかないとひらめかないと思う。
よって、モデルがいたのだ。
おそらく以前、カリブ海に海賊がいたに違いない。
海賊に知り合いがいないので、彼らが年中海上で生活しているのか、どこかの集落に潜伏し、ちょうど漁師が漁に出るように海に繰り出し、海賊家業を営むのか、は知らないが、とにかくいたのだ。
となると、隣の席にいた人は「パイレーツオブカリビアンは、カリブ海の海賊が元祖だよ。」と言わねばならなくなり、当然の如くカリブ海の海賊はパイレーツオブカリビアンである。
本元祖ではなく中間元祖を伝えてしまった人に対して、相手は「あなたには元祖水かけられがお似合いよ!!」とののしらなかったし、水をかけなかった。
できた人間である。
揚げ足をとる内容のプロローグで申し訳ないが、このように「元祖」という言葉はよく聞く。
しかし、その意味あい上、同じカテゴリに2つ以上あってはいけない言葉でもある。
「元祖とんこつラーメン 」
こんな感じの看板を2つ以上見かけたら、明らかに理に反している。
どちらか、ヘタすると両方が嘘をついているのだ。
そして嘘をつくのは社会通念上、よろしくない。
このように「元祖」を名乗りたいとき、競争相手がいるとなると、その称号を得るのは少々面倒なことになる可能性がある。
ということで、嘘をつかずに「元祖」と名乗りたくば、オンリーワンを目指せばよいのだ。
例えば「元祖 逆回転扇風機」なんてものはどうだろう。
マーケティング不足で、従来の扇風機に対して逆回転と呼ばれる状態を採用した扇風機がどれほど存在しうるのかどうか謎だが、少なくとも「逆回転」を全面に打ち出した商品は2007年現在はないだろう。
逆回転ライバルが現れない限り、元祖はあなたの思うがまま。
つづく。
追記1
逆回転扇風機
従来の回転方向に加え、切り替えで逆回転を実現した扇風機。
逆回転初回時、ホコリがすごい。
追記2
ちなみにこの方法は「本場」とかでも使える。
「パイレーツオブカリビアンは、カリブ海が本場だよ。」
元祖よりも、なんとなく納得してもらえる気がする。

検索

ネットにおける「検索」というものは、それはそれはすごいちからを持っている。
文字をちょろりと入力すれば、それに関わるあらゆる情報が無尽蔵に手に入ってしまう。
「google」の「oo・・・」に、私たちは幾多の夢を見ることができるのだ。
でも残念なことに、それで手に入る情報は、たいてい一方通行で、やや広域な情報が多い傾向にある。
例えば「お腹すいた」と入力してみると、試せばいいのに試さないが、おそらくどこそこのおいしいレストランや家庭料理のレシピ、そのような方向性のブログなどが見つかるのではないか。
だが「お腹すいた」と入力した本人が本当に欲している情報は「キッチンの戸棚の奥に、カステラがあるよ。」という、かなりローカルなものであるに違いない。
家の庭で父親が「おーい、ビニールテープ持ってきてくれ。」と依頼するシーンにおいて、私たちはよくそれをパソコンで検索してしまうという過ちを犯す。
ホビーショップや日常雑貨店のホームページを前に、私たちはやっと思い出す。
「ビニールテープは、居間の炊飯器が置いてある棚の引き出しの2番目に、何かよく分からない電気コードとともに置いてある、ということをネットは教えてくれない。」
だからといって検索エンジンのやつめ、というのは論外だ。
検索エンジンは言うだろう。
「そういうのは、おまえらでやっといてよ。」
また、検索で「お前のうちのぞうきんは、洗面台の下に、ゆたんぽとともにある」とかいう詳細な事実が見つけられてしまうと、それはそれでビビってしまう。
そういう点でも、ネット上にやたらローカルな情報を求めるのは、おかしいことなのだ。
そういうことで、戸棚にしまったカステラは、みんな忘れないように。
ちなみに、具体例をやたら生活感あふれるものにした理由は、もちろん検索でこのブログにたどり着いたものの幾人かをビビらすためであるが、まぁこの一文は、いらないね。

九十九の憂鬱

「物には魂が宿っている」という考え方が日本にはあるようです。
外国にもある、かどうかは知らないけど、なんだか面白い考え方。
特に年月を経た道具などには九十九神(つくもがみ)とかいう魂みたいなもんが付くと言われています。
「魂が宿る」というこの話は、物を大切にするとかいう話においては、いい例えとして使えそう。
けど、道具なら何だって!!、というのも考えものではないでしょうか。
例えば、古時計に魂が宿ってしまったら、どうなるでしょう。
おそらく宿ってから数分もたたないうちに「あれ、俺の一秒、ずれてるんじゃね?。」的な考えを持ってしまうでしょう。
そして「そういえばさっきの一秒、ちょっと遅すぎたかな?。」となります。
こうなると「じゃあ次の1秒は、気持ち早めるか。」となり、生活環境に慣れてきて、だらけてしまった新入生のようになってしまいます。
これでは正確な時間になりません。
逆にいうと、正確に時を刻まない時計は「魂が宿ってしまった」のかも。
ということで「うちの時計、あやしい!!」と思った人は、その時計の前で素早く歩いてみましょう。
魂が宿っているなら、古時計は「やべ、俺、時間の感覚遅れてる!!」と勘違いし、秒針を早めます。
メトロノームだって、そう。
宿ったメトロノームの前で、彼が刻むリズムよりも少しだけ速いテンポで演奏してみると、そのテンポに合わせて彼の振幅が早まります。
結果、両方どんどん早まります。半分ケンカです。
このように物、特に古い時計やメトロノームは、つくもる前に考えた方がいいと思う。
魂を宿したために生じる多くの苦悩やめんどうを考えたら、つくもらない勇気も必要。

かさねがさね冤罪

幼少の頃よりサスペンス劇場をたしなんできた僕にとって、ドラマ上の有名人配置から犯人を探し当てるのはわけない、と思っていた。
サスペンス系ドラマでは、犯人はもう一人の主人公である。
やはり、全く見たこともない人というわけにもいかないので、だいたい有名人を配置することになる。
さらに、2時間で番組が終わる以上、犯人はちょこちょこ画面上に登場しなくてはならない。
「なんでこんなシーンが必要なんだ?」と思うこともしばしば。
このような背景から、サスペンスドラマの犯人は分かりやすいものが多い。
ドラマ上、どうしてもあるパターンが見え隠れしてしまうのはしょうがないことなのだろう。
それは多くのサスペンサー(!!)が知るところだし、そこが楽しみのひとつでもあるとも言える。
それにしても僕は、有名人で画面上にちょこちょこでなくてはいけない犯人に、深く同情する。
本当は目立つ行動をしたくないだろうに、ドラマ上、意外性を持つために主人公やカメラの前をさまよわなくてはならないのだ。
この前見たドラマも、僕が考えるに、圧倒的に「専務」だったんだ。
ところが、専務が犯人であることを母親に告げると、うれしそうに「違うよ」と言った。
前に見たことのあるドラマだったようで、犯人を覚えているみたいだ。
なぜ、一度見たサスペンスをまた見ているの?。
でも、とにかく専務じゃなかった。
そうか、専務じゃなかったのか・・・。
ところが、そのあとすぐに出かけたその先で、ふと思いついてしまった。
「あ、副主任だ!!。」
確か、副主任はなかなかいい具合の人で、先ほどの犯人ステータスを全て持っているように僕は感じた。
そうか、副主任だったのか・・・。
犯人が、専務でも副主任でも、どうでもよかった。
そしてどうでもよかったことが一週間過ぎると、何もなかったことになる。
一週間後、なんとなく母親に聞いてみた。
「突然で悪いんだけどさぁ、この前のサスペンスの犯人、副主任でしょ?。」
彼女はサスペンスのことを覚えていてくれた。
「違うよ。」
違った。
しかも、副主任は殺されてしまったとのことだった。
最近のサスペンスはむずかしいな。
違ったよ。
でも、何もなかったことから、副主任で15分ほど盛り上がることになった。
ありがとう、副主任。疑ってごめんネ。
そして、このようなハートフルな展開になって、副主任も浮かばれることだろう。
追記
サスペンサーとか書いたら、サスペンダーの話を思い出しました。
「ナポレオンは、なぜ青いサスペンダーをしていたのか?。」
答えの分かった人は、心にしまっておいて。

比率

僕が井上陽水のコンサートに行くのを人に喋ったときの「ライブ」という言葉と「コンサート」という言葉の使用頻度は、ほぼ同じだったようだ。
※あとから「コンサートどうだった?」「ライブどうでした?」をなんとなく集計した結果
なので、僕にとって井上陽水は「ライブ:コンサート=1:1」のミュージシャンであると言える。
自分で言っておいてなんだが、なかなか僕の井上感を的確に表しているような気がする。
それに、この考え方は結構わかりやすい。
例えば「笑点」について、僕の「笑点感」を考えてみたら、
「大喜利:マジック=1:1」となった。
あまり笑点を見ていないので申し訳ないが、それでも僕は「笑点で大喜利とマジック以外のことをやっていたら、それは笑点ではない」と断言する。
これほど強気に言えるのは、繰り返すが何よりも「笑点は大喜利:マジック=1:1の存在」であることは揺るがないわけだし、しかも「笑点で大喜利とマジック以外のことをやっている人たちは、むしろ自分達がやっていることは笑点ではないよ、と思われたいのではないか。」と感じているからだ。
この考え方だと、僕の「12チャンネル感」は
「12chらしさ:処刑ライダー=1:1」というところだ。
「12チャンネル感」に「12chらしさ」というのは難しいところだが、まぁ回帰的な何かだ。
僕における「12チャンネル感」の面白いところは、「12チャンネル」から「12chらしさ」を除外したら「処刑ライダー」しか残らない点だ。
「俺からマラソンを取ったら、何が残るんだよ!?」というセリフがあるが、実際にマラソンを奪ったとしても、彼は食い、遊び、考え、笑うことができる。
しかし12チャンネルではそうもいかない。
残念なことに、12チャンネルから12chらしさを奪ったら、処刑ライダーが残る。
いや、残ってしまうのである。
そして、残ってしまったものがなんとも12チャンネルだなぁ、という点が、12チャンネルの12チャンネルたる所以だ。
最近の12チャンネルでは処刑ライダーをやっていないようだ。
12チャンネルの人は考えてもらいたいのだが、12チャンネルは12chらしさだけで12チャンネルになっていると思っていたら大間違いだ。
なぜかお昼に映画枠がある、その意味を忘れないでもらいたい。
お色気シーンが時間的にそぐわないようだったら、深夜でも構わない。
処刑ライダーの定期的な放送が、12チャンネルを維持するのだから。
・・・
でも、時代は変わった。
僕の12チャンネル感は既に過去のものであることは明白だ。
あんまり見ないうちに、変わったよな、12チャンネル。
若者の集う放送局、テレビ東京。
あのCMのコピーも、かなり若者向きだ。
「ホップ!! ステップ!! 12チャンネル!!」
・・・最後に嘘をついてしまった。
追記
マジックの内訳は「マギー:ナポレオンズ=2:1」だ。

あきらめムード

物語の主人公は、時として「深い意味を持たされたらしい言葉」を聞いただけで敗北してしまうことが知られている。
「私、あの夜は彼と一緒だったの・・・。」
な!?。
まだあきらめんなよな、な!?。
コンビニ本コーナーでの出来事かも知れないじゃん!?。
「私、彼の家に行っちゃった・・・。」
な!?。
はやとちりするなよ、な!?。
筆談に違いないんだよ!?。
「私、彼とずっとふたりっきりだったの・・・。」
な!?。
気にするなよ、な!?。
今、オンラインゲームが流行っていたよな!?。
「私、名字が変わったの・・・。」
な!?。
まだ泣くなよな、な!?。
今、そういう方向の出家も流行っていたよな!?。
ということで、主人公はちゃんと再確認を怠らないようにすれば、もしかしたら逆転できるかもネ。
ただ、これらの言葉を言われてあきらめないやつには、物語の主人公はちとムズイかもというのは、否定できない。

つもり。その3

昨日からの続き。
【あらすじ】
HP120で火に弱いヤツを考えてみたら「HP」って血液量のことかも、って思えてきた。
「HPって血液量かも?」と思えたのだが、もう一つの特徴「火に弱い」についても考えてみると、すぐに難題にあたる。
ほとんどのゲームにおいて「火に弱い」ヤツといえば、だいたい以下のものではないだろうか。
・ゾンビ
・ミイラ
・木がモンスター化したもの
血液、ない。
木については、どうにか樹液を取り上げることができるだろう。
「怪物樹に30のダメージ!!」
怪物樹からは樹液が「30」流れ出す。
彼が怪物になる前、かたぎの時代は、どんな種類の樹木だったのだろうか。
うるしだったら攻撃した側も何らかのダメージがあるかもしれないし、くぬぎだったら子供たちは夜が待ち遠しい。
このように木だったらまだ「HP=血液量」説をどうにか採用できるが、ゾンビ、ミイラにはつらいところ。
それでもゾンビはちょっと残っていそうだが、ミイラともなるとむしろ「体液ありません」が売りのような面もあり、血液案を採用する余地は、ない。
ここだけは、血液量ではなく、包帯まき量と代えさせていただきたいところだ。
でも、結局「HP120で火に弱いヤツ」がどんなやつなのか、いまいち把握できないまま、眠くなる時間になってしまった。
「HP120で火に弱いヤツ」を探す行為は、学者が「モノポール」を探す行為にほんの少しだけ似ている。
そして、かぐや姫が求婚者のひとりに要求した「火鼠のかわごろも」を探す行為には、ほぼ等しいのだ。