友達機能

ブログを書くとき、まずはリンクの「管理者ページ」に入ります。
するとブログ管理画面のようなものになり、「新規投稿」や「過去記事の管理」などができるコーナーとなります。
本日、それらの項目に「友達機能」なるものが追加されていました。
何なんだ、友達機能。
たまごっちみたいなものか。
項目を選択してみると、いきなり「現在登録されている友達はいません」と来た。
ああそうさ。
その通りさ。
よく見ると、詳細な設定ができるようで、色々なタブがある。
「友達機能トップ」や「友達の管理」、「機能設定」というのは、さらに「友達申請受付」、「スパムチェック」に派生している。
「友達機能トップ」
やはり、なんつーのか。
すごく落ち込んでいるとき、そばにいてくれるような?。
そんなんだと思うんだ。
「友達の管理」
たまーに会うと楽しいけど、いつもは疲れるな。
何かしたいらしいんだけど、いつもから回りしているな。
そんな友達がいるのだろう。
そんなやつは「極たま」フォルダに入れておこうか。
「機能設定」
・・・「友達申請受付」
「自分はいつだって開かれている!!」と思っていたけど、これをONにするのを忘れていたようだ。
今までに申請してくれてた人、ごめん!!。
そして、そんな人いなかったら、自分自身に、ごめん!!。
・・・「スパムチェック」
最近は友達にもスパムが付いてるのか。油断ならないね。
スパムが付いてる友達の見分け方に「影を踏まれると動けなくなる」があるって聞いたけど、本当かな。
結局、友達機能って何なんだかわからないが、僕は「弱」に設定している気がする。

ぬりえ

近所にある薬局のマスコットキャラクタはカバであるようで、店内には、子供たちの作品「カバのぬりえ」が大量に展示されている。
誰でも一度は見たことがあるだろうが、この手のぬりえ展示は大迫力である。
子供たちの多くはカバの輪郭を超え、ぬりえの既成概念を超え。
作品の多くは「カバ」ではなく「色鉛筆」となっている。
また、明らかに「戦争を経験したので、トラウマがあります」的な絵も見え隠れする。
とにかく、色とりどり。
カバにはこれほどの亜種が存在しただろうか。
と、ちょっと気になった。
この薬局のマスコットが「キリン」だったら、このような「色とりどり現象」には、ならなかったのではないだろうか。
ある程度の差異はありそうだが、おおかた「黄色に点々」で落ち着くのではないだろうか。
もしそうだとすると、今回見られた「カバ、色とりどり」現象は、何を意味するのだろう。
1.
「現代人の、カバに接する機会が失われつつある」
日本には野カバは存在していない。
今回の「カバに接する機会」について考えれば、残念なことかもしれない。
しかし、野カバがいる地域の人々にとって、それはかなり恐れられている存在であることを考えると、やはりせいぜい動物園で遠めに眺めるといった程度でよいと思われる。
だが、動物園では「カバに接する機会」の減少に歯止めをかけることは難しいだろう。
なぜならば、彼らはたいがい「やたら濃い緑色の、何かが浮いている池」に入っていることが多いからだ。
また、もし陸に上がっていたとしても、子供はもちろん大人たちですら「口開かないかな」などと考えてしまうため、詳細な特徴を気にしなかったりしてしまうのだ。
よって子供は「カバの、いろ・・・?」という雰囲気になり、自分の好きな色を塗ってしまうのだ。
2.
「結局、カバはなんだかよく分からない色をしている」
今、「ジョジョの奇妙な冒険」を読みながらコレを書いているが、現段階で「カバの色」を的確に示す言葉を、僕は知らない。
おそらく、この「知らない状態」は、四半世紀は続くだろう。
そのくらい、彼らの色は形容しがたい。
「カバの色って、どんな?」と聞かれても、何も答えられないのだ。
例えば、「カバって何でできてる?」と聞かれたときは、「古い真鍮だよ」とか嘘をつけるのだが、「色」を聞かれると、さほどへんちくりんな嘘は用意できない。
八方ふさがりである。
このように、色々な意味で困った色なので、子供たちは自分の好きな色を塗ってしまうのだった。
3.
「イソジンうがい薬などの、カバキャラの色が統制されていない」
調べるのもおっくうだが、確かイソジンうがい薬のキャラクタはカバで、オレンジ色だったはず。
また、他の何かのキャラクタでは、ピンクだったり、水色だったりした気がする。
このカオスっぷりは、キリンやゾウではあまり見られない。
おそらく、これらの色カバキャラを生み出した人は、上記の1で水面に鼻と目と耳のみを出すカバを見、2の理由で色辞典に「かばいろ」がないことを調べ上げ、自分の好きな色を塗ってしまったのあろう。
もしくは1と2を経験した、子供本人である可能性も否定できない。
とにかくメーカーは自社キャラクタに対して、もっと適切な設定をしてほしいものである。
以上3つが「カバ、色とりどり」現象の起因である。
皆さんもカバを色つきで書く機会があったなら、以上を踏まえたうえで、反色彩検定的なカバに仕上げよう。

転落解除箱

下北沢の駅ホームにて、「転落警報解除箱」なる物体を発見した。
「誰かがホームから転落したときに鳴る警報を、止めるボタンが隠されている箱」に違いない。
おそらく「誰かがホームから転落したときになる警報」は、この解除ボタンを押さない限り永遠に鳴り響くのだろう。
ただ、聞いたことはないがこの警報、かなりうるさいと予想される。
重大なシグナルをあらゆる場所に発信する任務があるから。
だが同時に、うるさすぎて詳細な情報の伝達を妨げる危険性もありそうだ。
事件の一報をいち早く知らせるのは重要だが、その後の対応、情報伝達に遅れが生じるようではいけないのだ。
そんな可能性たちの狭間に「転落警報解除箱」は存在する。
僕は、その箱の付近に「転落警報箱」を探した。
しかし、すぐに止め、反省した。
人がホームから転落した際、そのことを一番早く気付くのは、本人だ。
そして、本人は転落している。
「転落警報箱」はホーム下にあると思われる。
もちろん転落者が気を失う可能性は多分にあり、ホーム上にも存在しているだろうが。
そして「転落警報箱」は「箱」ではない。
「転落警報箱」の発想元である「転落警報解除箱」が「箱」である理由は、
・アホな人が勝手に押して、警報を解除しないようにするため。
・箱を開ける作業を追加することにより、その間「本当に解除していいのか?」と考えさせることができる。
といったものだろう。
「転落警報箱」には、そういった機能は求められていない。
特に「本当に転落したことを知らせていいのか?」といったことを転落者に考えさせるのは、拷問に等しい。
よって「転落警報箱」は「転落警報ボタン」として、まる見えであるはずだ。
僕は次に「転落箱」について考えた。
「転落箱」。
そんなものはないだろうし、よくない。
そう思う。
でも、駅売店でなにやら冷やしているものが、これに相当するのでは、とも思う。
「駅でみかけた箱」について、いろいろ考えた。
どうやら駅には「転落箱」があり「転落警報ボタン」があり「転落警報解除箱」があるようだ。
転落させない気は、ないのである。
僕は最後に「転落解除箱」について、すこし思った。
電車が来る。
なんでこんなことを考えていたのか。
あー。そうだった。
「転落警報解除箱」だ。
ん、なんだ?。
「転落警報解除箱」?。
まず「転落箱」が、駅売店の・・・。
「転落警報箱」が、押しやすいボタンで・・・。
そして「転落警報解除箱」・・・?。
役目を詳細に表そうとするほどに、その存在は、より虚ろとなるのだった。

トリック

「お、お前・・・。なぜ生きているんだ・・・。ま、まさか!!。」
「やっと気づいたか。そう、鏡なんだよ!!」
「ツバサ、お茶碗とお箸を持つ手が、逆ですよ。」
「やっと気づいたか。そう、鏡なんだよ!!」
「あの子、夏休み終わって、なんか感じ変わったよね。」
「やっと気づいたのね。そう、鏡なのよ!!」
「ちょっと!!。今日の私、雰囲気違うの、気づかないの!?。」
「わかってるって。鏡。そうなんだろ?。」
鏡って、便利。
追記
カレンダーにも書いちゃってました。
12/2

ぼくのなつやすみ

ここのところ、サザエさんの替え歌が頭から離れなくて、困る。
この替え歌は、別に「今日はサザエさんの替え歌を作ろう。」と考えたりしたわけではなく、勝手に生まれ出たものだ。
サザエさん終了時に流れる曲の「今日は楽しい 今日は楽しい ハイキング」が、
「Don’t forget summer time. Don’t forget Never time. ハイキング」となる。
意味としてはそれほど替えられていないので、その点は安心。

徒歩命

人は誰にでも、それぞれ違った悩みがあり、人知れず苦悩するようだ。
僕にもそれに該当するいくつかの苦悩がある。
そしてそれは、駅から出るときに必ず起きるのだ。
駅を出るとき。
どんなに他の悩みがあっても、違うことを考えていても。
駅を出る瞬間に、僕が必ず考えてしまうのは「いかに、駅前で待つタクシーの運転手さんに期待をさせないような動きをするか」なのだった。
今のところ、この答えは「タクシー乗り場から遠ざかる方に向かう」しかない。
よって、目的地に向かうにはちょっと遠回りになることが多い。
もっと効率のよい「期待させな方」がないだろうか。

空も飛べるはず

俺は催眠術師。
心の病を癒すため、人を催眠状態にするのが仕事だ。
でも、なってから3日目。
まだ術をかけたことがない。
不安だ。
「催眠術?。私にかかるかな。」
相手は60代男性。
催眠術という言葉への「怪しげ」固定概念が見られる年齢だ。
それは催眠状態になることを、無意識に妨げようとする気を持っていることを意味する。
難しい相手だ。
「ともかく。先生お願いします。」
とりあえず、作業に取り掛かる。
まず最初に、催眠状態にどれほどかかりやすいのかを調べる。
では、ゆっくり深呼吸してください。
「ふぅー。」
次に、リラックスしてください。
「リラックスしろって、言われてもねぇ・・・。」
目も閉じない相手に、俺はもう泣きそうだったが、続けた。
いいですから、とりあえず目くらいは、閉じてください。
「わかったよ、先生。」
では、次に空を飛んでいる自分をイメージしてください。
「難しいな。」
いいですから。
ほら、ゆっくり体が浮いてきましたよ。
「浮いてなんかいないよ。」
体がすぅーっと上がっていきますよ。
ほら、何が見えますか?。
「えーと。副都心ですね。ビル群が見えます。ずいぶん遠い。高度は、30mといったところです。あ、下を向くと、下降できるんだ。先生、ちょっとビル群に近づいてみます。大丈夫です。人目に付かないように、ちょっと高度を上げますから・・・。あれ、わ、やべ、ちょっと上空って思ったよりも寒いですよ。ちょっと、とりあえずあのビルに降ります。いいですか?。降ります。」
・・・
「体がすぅーっと上がっていくなんて、想像できませんよ。先生。」
俺は、すごく自信がついた。

つづかない。

昨日からはつづかないんで。
【あらすざない】
「様」のはんこほど、迎合した人生は送りたくないと思っていた7942だが・・・。
「様だけを押し続けるはんこって、どんなものにでも様をつけるから、なんとなくへりくだってる感じで見えるんや。」
「ちなみにわいは猿や。」
昨日「様」を烙印(かっこよすぎ)し続ける罪を負うたはんこについて、そのやるせない生き様を書いたのだが、読み返してみると、なんと最後に「つづく」とか書いてある。
つづかねーよ!!。
昨日の7942!!。
何がつづくんだ、このヒジかっさかさが!!。
と、すごんでみても、何も進まない。
考えてみる。
確かに、昨日7941だった身としては「様以外にも、色々なはんこがあるよね。」という感じで今日を埋める気だった。
今、思いついたはんこは「がんばりましょう」「親展」「公正」くらいか。
「がんばりましょう」は何かしらひねくりだせるかもしれないが、その他のはちとキビシイ。
よって、話は「はんこ、色々あるよね→こんなはんこがあったなら。」のようになるはずだ。
「こんなはんこがあったなら。」
僕らは日々、どれほどはんこのことに思いを馳せる時があるのだろうか。
全く思いつかない。
また、思いついているものもあることはあるが、シミュレーションしてみると、確実に心の傷を負うものばかりなのだった。
よって、本日のブログは、昨日からつづかない。
僕、結局傷だらけだから。
ところで冒頭の「ちなみにわいは猿や。」は、前の文章「見えるんや」の名残のようなもので、出典(?)は「プロゴルファー猿」。
書いたあとで何なのだが「ちなみにわいは猿や。」はないだろう、猿。
猿だったら、何はなくともとりあえず最初に「私は猿です。」と言うべきで、何かのついでに「あぁ。ちなみに私、猿なんですけどね。」という感じでは言うことじゃないぞ、猿。
確か「プロゴルファー猿」の歌では「わいは猿や。プロゴルファー猿や。」と言っていた。
そうだ。
ゴルファーよりも、プロよりも、まずは猿であることを伝えるべきなんだ。
わかってるじゃないか。

様付けの小片

パスポート申請時、「自分宛てのはがき」を用意する必要がある。
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「10年後の僕へ」
やあ、僕。
そっちはどうだい?。
こっちは相変わらず、ほつれた糸を切る道具がなくて、これ以上被害が及ばないように一気に引っ張って切ろうとして、結局布がムニュッてなってしまう日々だよ。
僕の予想だと、そっちは大戦かい?。
それとも、ドラゴンヘッドかい?。
ちょっとやんちゃして、千の風かい?。
ところで、覚えているかな?。
僕らの合言葉。
10年経っても覚えていよう、っていう言葉があったろう?。
え?。
もちろん覚えているって?。
そう。
「むつかるときは、全力で。」だったね。
赤ちゃんのころからの合言葉だ。
覚えてなかったら、僕、むつかっちゃうぞ?。
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残念ながら上記のようなものではなく、単に宛て先を自分の名前にしたはがきを用意するのだ。
このとき、葛藤が生まれる。
宛て先として書いた自分の名前に「様」と書くかどうか。
僕は申請の窓口にて、はがきを書いたのだが、かなり迷った。
うかつに「様」を書いたら、窓口の人は「うわーこいつ自分に様つけてるよ。」と思うのではないか、という邪推だ。
迷った挙句、「様」をつけずに提出したところ、少しおもろいのが見られた。
はがきを受け取った窓口の人は、慣れた手つきでぽん、とはんこを押す。
そのはんこは「様」だった。
このようにして「nimbus7942様」という宛て先のはがきが誕生したわけだ。
使用頻度など、気になる点は多々あるが、このはんこで注目すべきは、やはり「様」だろう。
「未熟児様」
「メタボリック様」
「悪送球様」
「不当判決様」
このはんこにかかれば、どんなものもはんこから「様」と呼ばれる存在になる。
どんなものにも「様」を付けてしまうのだった。
なんだって、そんなにへりくだっているのか、「様」のはんこよ。
特に「不当判決」だと思っているなら、へりくだる必要などないのだが。
このはんこほど、迎合した人生は送りたくないものだ。
つづく。

今日はリシーレとひとやすみ。

今日はどうしても「楽したい」カテゴリに入れられてしまうような話をしたい、要は楽したいのだが、あいにくと楽な話が手元にない。
ということで楽な話を生み出すことにする。
そもそも、楽な話とはなんだろう?。
最初に思いつくのが、文字数が少なく、不明瞭なもの。
少なくて、どうにでもとれるものというのは、確かに楽だ。
「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」
若い人は分からないだろうが、昔「一休さん」というアニメがあった。
以前、とんちで幅を利かせたのがいけなかったか、主人公の一休さんは子供なのに、色々な局面でとんちを求められることになる。
主にとんちの考え中に、彼は言う。
「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。」
「ひとやすみ」を「一休み」と書くと、なんとも彼の思惑通りな感ありなので、あえてひらがなで書いたのだが、まぁこのようにつぶやく。
先ほどの「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」は「ひとやすみ」を「ジュブナイル」に、なんとなく変えてみただけだ。
「ジュブナイル」は確か子供向けとか、そんな意味を持ってるはず。
精神的にまいっている人や使用済みティッシュをもう一度使おうとポッケの中に入れる人の幾人かは、「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」と言う一休さんを見て「おまえが言うな、おまえが。」と思うかもしれないし、思わないかもしれない。
また「あわてない、というのは小学校などでは防災訓練のときに言われるな。そのとき、よく「おかし」というキーワードを教えてもらったっけ。「お」は「押さない」。「か」は「かけない(走らない)」。「し」は「しゃべらない」だった。」
「そうなると、あわてないときの「ジュブナイル」ってのは・・・。」
とか考え、「ジュ」が「数珠」くらいしか思いつかず、いきなりジュブナイらない方向性になってしまったり、するかもしれないし、しないかもしれない。
この文面のとりとめのなさからもわかるように、文字が少なく、どうにでもとれるものは、楽なのだ。
また、何も考えなくて済む話も、楽だろう。
「ラサールいしい→リシーレうすう」
これは、ずいぶん昔、逸見さんが出ていた頃の平成教育委員会で出題されたような気がする問題の回答例だ。
それは暗号の問題で、ミソは「50音でいうところの次の文字に置き換える」という点。
例えば「ラ」について考えると「ラリルレロ」で「ラ」の次ということで「リ」となる。
そのようにしてできた「リシーレうすう」。
のぞまれずに誕生した、かわいそうなクリーチャーだ。
また、くどすぎるような、確実にいらない説明も、ポイント。
さらに「ラサールいしい→リシーレうすう」の形態美も映える。
やじるしが、なかなか重要な任務を与えられている。
それに、なにかっこでくくられてんだ。
かっこで。
このリシーレのように、万人に影響を与えない話というものも、いろいろ考えずにすむので、楽といえば楽。
※ちなみに、万人に影響を与えないとはいえ、おそらくラサール石井には、少しは影響を与えるかもしれない。
だが、僕は日常生活においてラサール石井を見たことがないし、ニアピンもなかっただろう。
よって、これからも僕とラサール石井間における相互作用はないと思われる。
こんな感じで、あまり楽できなかった。
そういえば今日の話は、どちらかといえば後者に属するね。