男「君が自動販売機でジュースを買うとき、1000円入れたとする。」
子「はい。」
男「そのとき、何に細心の注意を払うかね?。」
子「おつりの中にある500円を確実に手に入れることです。」
男「堅実な子だ。」
男「では、君。」
子「はい。」
男「おつりが出るとき、明らかに500円が無く、100円ばかりの音がした場合は、何に細心の注意を払うかね?。」
子「特にありません。」
男「豪快な子だ。」

線その3

昨日からの続きです。
【あらすじ】
「味線」を視覚的にあらわすと、ミスター味っ子だよ。
昨日というか、ぶっちゃけさっきの終わりに「皆さんも、油断していると出しちゃってるかもよ、汁。」と書いた。
今回は番外編。
線が担うものについてのんびりしてみる。
線で思いついたのは、出しちゃっていることに気づいているか、気づかれているか、という点。
視線について考えてみる。
視線は出しちゃっていると、自他共に出しちゃっていることに気づいている場合が多い。
自「最近、あの子が気になって、いつも見ちゃうなぁ。」
他「お前、あの子ばかり見てるぞ。」
ところが他の線は、こうはいかない。
自「うわー。いいにおい!!。」
他「お前、鼻からよだれが垂れてるぞ。」
自「いい曲だなぁ」
他「お前、耳から毛が出てるぞ。」
自「うん。すごくおいしい。」
他「お前、にんじん避けてるぞ。」
自「肌触りがいいな。」
他「お前、尋常じゃない手の動きだぞ。」
それぞれ、一応可能性のあるシーンだが、それぞれ「視線」のような例には当てはまらないだろう。
当たり前だが、上記のような線を出してしまったとき、鼻がそっちに角度をつけるでもなく、耳が大きくなるわけでもなく、舌がキリンみたいになるわけでもなく、後天性多指症を発症するわけでもない。
要は、これらの線は、あったとしても他人にわからないのである。
では、これらを、自覚もせずに出してしまったとしたら、どうだろうか。
自他共に気づかない、線。
こういうの、なんかで見たことないだろうか。
これが担うもの。
そう。
「赤い糸」や「運命の出会い」以外には考えられないだろう。
ただし「自分でも気づかなかったけど、心の底では、君のことが好きだったんだ・・・。」
みか「・・・わかってるよ。」
ドラマなどで見られるワンシーンである。
このとき、みかは「わかってる」そうなので、何かしらを受信できたことになる。
ただしは「気づいてなかった」そうなので、出していたものから「視線」を除外してみる。
ただしよ。
何出した?。
鼻線。
聴線。
味線。
触線。
どれが「赤い糸」「運命の出会い」の実態なのだろうか・・・?。
・・・・・・
このことから、我々が「第六感」を信じたくなる理由がわかるというものである。
線。
ノープランで終わり。
<おばあちゃんの知恵袋>
もちろん、上の2人は「互いに気づかなかった」感なのに、周りのみんなは「好き合ってるの、バレバレだったよ。」となっていたならば、答えは「視線」なのだろうが。

線その2

昨日からの続きです。
【あらすじ】
「鼻線」って、化粧関係の用語でありそうだよね。
「視覚」以外の、出力する感覚について書いている。
では、「聴線」はどうだろうか。
今、壊滅的に何も考えずに書いてるが、たとえば「すごく話を聴くのがうまい人」は「聴線」みたいな物を出しているのではないだろうか。
昔、その歌声を聴くと魅了されてしまい、不幸になると船乗り達に恐れられたらしいセイレーンや、笛やら何かでねずみを誘い出し、退治したハーメルンは、それぞれ船乗り、ねずみに対して「聴線」を出していたのではないだろうか。
「いやーん、船乗りさん。海の仕事って大変よね。寄ってかない?(イメージ)。」
「オッス、ねずみ。おまえらだって、好きでペストを媒介しているわけじゃないよナ(イメージ)」
「味線」「触線」
特に「味線」については、本当にそういう解剖学的部分があるのではないかと思ったりするが、それ以上にこれらの線は当ブログ内容の対岸へ移行しそうなので、さらりとしておく。
触線、オヤジ、てかり。
この3ワードで、もうセクハラぎりぎりである。
このように、我々の周りには「視線」以外の線も存在し、出力、もとい分泌しているかもしれない。
皆さんも、油断していると出しちゃってるかもよ、汁。
さらに続く。

「視線」というものがあるのなら、視覚は唯一、出力もする感覚であるといえる。
「あの人の鼻線を感じる。」
確かに、鼻には穴が2箇所存在し、その闇が何かしらの出力をしているような気にならないでもないが、重要な点は「鼻線」で何かしら話が広がることはないということと、「何?、鼻に何か詰める話?。」的な感が否めないことである。
それでも強いてみると「あの人は私のにおいを嗅いでいる。その雰囲気を感じる。」という風か。
やだ。
ちなみに、この考え方でいくと「視線」は「あの人は私を見ている。それを感じる。」となる。
これは「何かを見る」という行為が、普遍的な行為以上の何かを持っていると人は信じている、ということに他ならない。
うーん。
でもこれは、別に視覚に限らなくてもいいんじゃないだろうか。
なので。
そんな行為を踏まえた「鼻線」だって存在してもよいはずだ。
「俺は、おまえに興味があるから嗅いでいるんだ!!。感じろ、俺の鼻線!!。」
やだ。
結局、「鼻」という器官は、「そういう扱い」の位置づけなのである。
何か、何かがやけにリアルで、露骨なのである。
この点について「鼻水」という粘液が、少なからずも位置づけに影響しているのは明白だろう。
明日へ。

クラウド・コレクター

いつだったか、朝から不思議な空模様のときがあった。
かなり薄めに、細かい雲が空に広がっている。
日本では、古来より雲への関心が高く、多くの種別分けをしたという。
僕は雲の種類なんてぜんぜんわからないけど、なんとなく今日の雲は「いわし雲」なんじゃないかと思った。
そして、僕がその雲を見てもうひとつ思ったのは、
「焼いた食パンにバターを塗った感じ」だった。
バターを雲になぞらえ、ところどころ見える青空を、バターを塗れなかった食パンの部分としたのだ。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
また、
「紙やすりにバターを塗った感じ」とも思った。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
また、
「かかとにバターを塗った感じ」とも思った。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
よって、「いわし雲」は「バター雲」であることが十中八九判明した。

うらない

このまえ、知人がビートたけしのものまねをした。
「おい、ダンカン。このやろ。」
以前、ものまねをする際は、そのセリフが重要であるとかいうことを書いたが(6/5)、上の例はかなりその点をクリアしているだろう。
もちろん、ここで触れるのはそういうこと以外の点である。
「ダンカン」の部分である。
この部分は、人によっては変わるのではないだろうか。
まず思いつくのが「タカ」である。
「おい、タカ。このやろ。」
うーん。
タカは、実際に言われてそうだなぁ。
言われているタカの表情が、見える。
「おい、枝豆。このやろ。」
いまいちイメージが沸かないですね。
夏以外に言われていそうか?。
まああとは、話題の人とか、らっきょうとかの例を、僕以外の人が考えてみよう。
もちろん「ダンカン」部分には、一般に「たけし軍団」と呼ばれる人たちが入って問題ないのだが、この部分に誰をもってくるかは、ものまねをやる人の人生観やたけし感、ものの考え方や血液型などが表れるかも知れず、興味が持たれる。
ちなみに僕はコマネチ連発くらいしか出来ないかも。
追記
未だに「ダンカン」と「ベンガル」の相違点が不明瞭。

こり

もうそろそろ一ヶ月になるが、「きこり」の「こり」が何なのかがわからない。
真っ先に思いついたのが「狐狸」と「古里」なんだけど、ちょっと違いそうだ。
「木狐狸」。
かなり人外の様相である。
僕はうかつにも今まで生きてきたわけだが、だいたい「きこり」に触れるとき、それは「木こり」だった。
(もう、さっき「木狐狸」とかしたもんだから、真っ先に変換が「木狐狸」と出してくれて、迷惑。)
でも、変換してみると「樵」と出た。
こいつがおおもとか。
「樵」だったら、何も考えずに「樵」かぁ、となったのに。
誰だ、「木こり」と書いたやつは。
と、調べていると驚き情報が。
木を切ることを「樵る」と書いて「こる」と言うらしい。
「木樵る」で、「きこり」か。
また、「樵る」と書いて「きこる」とも読めるらしい。
「きこり」はかなり昔にきこってしまったため、「きこり」と呼ばれてしまったのだろう。
みんなも、何かやるときはちゃんと鑑みたほうがいい。
何せ、きこってしまった人は、きこりと呼ばれるようになったのだ。
「はしり」「すわり」「にぎり」「こぎ」「くるり」「純情きらり」・・・。
いつだって、決定権を持つ何かは、君を見ている。
追記
ごめん。
最後の一行がやたら怖い。

地球代表

いつも以上にどうでもいい話なんだけど。
もし、地球が太陽系惑星のどれかと戦わなくちゃならないとしたら、僕は土星を推すつもりです。
もちろん大きさとか、密度とかは重要だと思うんだけど、輪ね。
あの輪が、死角を生むね。
他にも輪を持っている惑星はあるらしいけど、土星が一番立派っぽい。
ということは、死角も大きいと思うんだ。
だから、地球は土星の死角に入って、噴火とか、竜巻とか、エルニーニョとかで攻撃すればいいと思うんだ。
そうだった。
そんな攻撃は、土星のほうが強そうだ。
近づけないな。
となると、地球に住む僕らが、がんばんないとね。
今日のブログはがんばってないが。

孤高マン

僕は「ワンマン」という言葉に、それまで大して興味を持っていたわけではなかった。
でも、バスとかモノレールの表札的な部分に「ワンマン」と書いてあるのを見て、ふと考えた。
誰に何を伝えたいのだろうか。
僕の認識が間違っていたら申し訳ないのですが、「ワンマン」は、運転手が一人で全てを切り盛りしていることだと思う。
(ちなみに一人できりもみしていたら、なんとなくライダー2号だ)
それを伝えて、どうしろというのだろうか。
彼らが期待している、ありそうなものは
・一人で運転してるんだから、搭乗者はあまり無茶しないように。
・あなたが今乗っているのりものは、たった一人で操縦できるので、ハイテクです。
くらいか。
また、
・本当は終点駅名の書かれたプレートを入れていたが、到着後に元始発駅のプレートに入れ替えるのがめんどくさくなってしまい、空いたスペースに困ったため。
・団塊の世代が好む。
なども考えられる。
ただ、僕が気になったのはいわば「ツーマン」の状態があるのか、という点である。
多くの電車は「ツーマン」であると言えるし、飛行機はパイロット以外を含めると「メニーマン」だろう。
渡し舟は「ワンマン」で、エレベータは「ノーマン」だ。
こうなると、マジンガーZは「ワンマン」だし、ジェットパイルダー(ホバーパイルダー)も必然的に「ワンマン」となる。
先ほどきりもみしていた、ライダー2号が乗る何とかサイクロン的なバイクも「ワンマン」。
ウルトラマンなんて、だいぶぱっつんぱっつんの「ワンマン」だ。
うん。
やはり、ヒーローは「ワンマン」でなくちゃね。
よし終わり。

話は五本指で進む。

「からかさおばけ」という妖怪がいます。
「妖怪話で合コン一人勝ち!!」と銘打った雑誌があったなら、その表紙は水木しげるでも京極夏彦でも小泉八雲でもウエンツくんでもなく、からかさおばけだろう。
そのくらい有名であると、僕はみている。
容姿はほぼ傘なのですが、閉じられた傘部分に、一つ目。
枝みたいにほそい腕がにょっきり生えてます。
そして、人間が持つべき部分が、足。
そう、一本足なのです。
こう書くと、誰しも水虫関連の情報を欲すると思います。
そしてもうひとつ気にされること。
「右足、左足、どっち?。」という点。
僕も「からかさおばけ」の絵を見るたびに確認しますが、なんとなく「右足」が多そう。
サンプル数は、2だけど。
確かに、右利きの人が持つからかさおばけは、なんとなく右足タイプであってほしい。
見た目のバランス悪いから。
すると、やっぱり左足タイプの方もいると考えたい。
日本人の左利きは少ないらしいので、左足タイプは需要が少ないのだろう。
でも、右足、左足のどちらであっても「なんや、人の足かい。」という気分になります。
「結局、現存する人間の足が由来かい。」
「そうかい、俺が出ていけば丸く収まるんだろ!?。」という感じ。
僕が見たいのは人間で言うところの中指が「親指ほどの大きさ」で、その指を中心に左右が「薬指、小指」の順になっているようなタイプ。
そうすれば「お、君は生まれも育ちも妖怪だね。」って思えるから。