炭素源を手放さないぼくらへ

吉祥寺のとあるラーメン屋に、「栄養満点」みたいな感じのパネルが飾ってあった。
「お、ここのラーメンは栄養満点じゃないか。どれどれ。」
現代日本において、このようにのれんをくぐる人物は、どれほど存在するのだろうか。
僕は、ある話を思い出した。
昔、インスタントラーメンの袋には「スープに栄養があります。残さずお飲みください」という旨のコメントが印字されていたらしい。
しかし、現代社会では、インスタントラーメンのスープは静電気を帯びたビニール袋なみに忌み嫌われる存在である。
時間が、常識を根底から変える。
そのこと自体「常識」として、あらゆる情報源から、あるいは経験として我々は体得している。
そして、そのことに少しでも触れるとかなりの分野に飛び火し、大変だ。
高度経済成長や日本の食糧自給率、久しぶりにテレビで見て、なんとなく切なくなってしまう芸能人についてなど、様々である。
ただ、この「栄養満点」看板で僕が感じたことは、これを掲げているラーメン店側が、何を狙ったのか、というところである。
今となっては、この文句は逆説的に「スープくらいは残せ。」と言っているようにしか聞こえない。
また、「おまえらは、栄養に関してはもう危惧することはないよ。」ということも示唆していそうだ。
ここまで考えると、次はひとつ。
「おまえらは、○○に関してはまだ足らないよ。」についてである。
足りないもの。
とりあえず、僕にはいろいろ足りない。

「炭素源を手放さないぼくらへ」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    7942氏に足りないもの。
    少しの優しさと時間。

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    僕が思うに。
    人間が生きていくうえで、バーニアは絶対必要だと思うんだけど、これもないんだよね。

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