新車両だじょ!!

中央線で、オレンジ色車両の電車に混じり、やたらアルミな電車が走り始めてまぁ久しい。
JRが、僕に電話もくれずに新車両を走らせているのだ。
中はだいぶ快適。
山手線ではおなじみの、ドア上部のテレビも甘美もとい完備だ。
そういえば、山手線では何だか英語クイズとかやってたなぁ・・・。
中央線では、何やってんだろ・・・。
どうやら、広告に混じり「旗あげゲーム」が行われているようだ。
画面中央に、赤と白の旗を持つウサギの着ぐるみが立つ。
そして、吹き出しで「赤あげて」みたいなものをやる。
もちろん、そのままだと画面から旗の状態がわかってしまう。
だから、ウサギが旗あげゲームに興じている間、画面は段々とウサギの顔にズームしていく。
かまわず「旗あげゲーム」は吹き出しにより進行していくが、画面はウサギの顔しか見えなくなってしまうのだ。
よって、旗の状態がわからない。
そして、見ている人は問われる。
「現在の状態はどうなっているのでしょう?」と。
答えはウサギの顔からズームアウトすることで判明するのだが、そのとき、ウサギの耳があることがすごく残念だ。
僕としては、ウサギの耳がなくなっているのが極めてスマートだと思うんですが・・・。
また、頭に旗が刺さっているシーンもありかと・・・。

敏腕マニピュレータ

電車の座席で、隣で寝ている女性が寄りかかってきたときに増していく重みに比例して、「この子、僕の事好きなんちゃうん!?。」という気持ちが増大する。
風速が増していくのに比例して、桶屋のどきどきする気持ちが増大する。
誰かと話しているとき、その人がケータイを見る回数に比例して、
「アレ?、僕の話、おもろない?。」という気持ちが増大する。
「この3つの事象の、被験者側のデータをプロットしたものが、これです。」
「グラフの感じが、似ていますね。」
「ちなみにこの、気持ちが高まっていくところの傾斜を書くのに苦労しました。」
「手書きなんだ・・・。」

今日は2アウト目あたり。

小説なり、漫画なり、映画なり、音楽なり。
どれもたくさんあるけれど、自分にとって面白いものがどれだかわからない。
でも、それはしょうがないことだ。
様々な国の、0歳未満から一世紀越えの人。
この世界には様々なストライクゾーンの持ち主がいる。
その分、エンターテイメントは雑多でなくてはならない。
このような背景もあるので、僕は「ホームラン」がひとつでもあれば、だいぶ満足する。
「こいつめ!!。うまいことやりおったわい!!。」というもの。
例えば文庫本で、5つの物語があったとする。
もし、その内の2つが、テープに恨みつらみを吹き込んで保存しておきたくなるようなものだとして、
もし、残りの内の2つがヤギに与えてもいいと思うものだとしても、
残った1つがキレイであればいい。
前に読んだ本では、最後の一行が誰かとディスカッションをしたくなるくらい、「なにーっ!!」というものだった。
もう、最後の一行でそんな気分にさせられたので、大変だ。
でも、ひとつだけいいとこがあったので、よし。
ある映画では、原作とイメージが結構違っていたので、そのやりどころない気持ちを政治にぶつけるしかない状態になったのだが、1シーンだけ「この映画見てよかった」と思えたのでセーフ。
そんなこんなで、クリエイトな方。
ぜひホームランを量産していただきたい。
そうしないと、日本の刑務所が足らなくなるよ。
ちなみに当ブログは、「ヒット、犠打、ヤギ、凡打」を目指しております。

人生西高東低

ごっつ背中にぶつぶつできた。
どうしよう。触りたい。
でも、背中を丸めてぶつぶつを触る姿は、とても残念だ・・・。
元来、肌が弱いらしい。
風呂上りのあせもを見ると、どうも自分の汗に負けてるみたいだ。
一時期、誰かが僕にメッセージを送っているのかっていうくらい、ヘンな形のかぶれが出た。
僕はひそかに「人間味あふれる聖痕」と呼んでいた。
なんか、自分の皮膚がヘンにかぶれたりしたとき、無性に触ったり、なぞりたくなる人は多いという統計がアカシックレコードにある。
触ってみて、「うわ?。皮膚!!。」って感じ。
もちろん、重度だとそんなことは言っていられないけど、
こういう感じには、少なからず人間の持つ「自失に対するあこがれ」みたいなものが見え隠れする。
その手の話でよく出てくるのが、絶叫マシーンだろう。
今思ったけど、すごいネーミングだ。
いつだったか、先生がバンジージャンプをしているところを見たが、
あれほど先生が空中を上下するさまを見るのは初めてだった。
人間は、あれほどぶらんぶらんしてはいけない。
まぁ、ともかく自失の念というものは誰にでもあるものだ。
背を丸めるのも、ごく自然なことだ。
そんな想いをこめて、カップめんにお湯を注ぎました。
こんなときのカップめんは、3分間にフタがよく開く。

I・テンパランス

「えっ、ガルガンチュアって、コン・バトラーVのでしょ?。」
アヌビスは思わず聞き返してしまいました。
昼休み、タドルとアヌビスは自分が読んでいる本について話していました。
タドルが「ガルガンチュア物語」の話を始めたとき、アヌビスの頭の中は基本的に超電磁ヨーヨーだったのです。
そんな状態でタドルの話を聞いてもいまいちピンと来ず、アヌビスは聞いてしまったのです。
タドルは笑いました。
「コン・バトラーVのは、オリジナルじゃないよ。」
でも、笑うタドルを見て、アヌビスは思いました。
ガルガンチュアのことって、自分はV(コン・バトラーVのこと)だと思っていたけど、ガルガンチュア物語っていうのもあるんだ。
そして、むしろそっちがソースみたいだ。
でも、これって、僕にとっては両方とも全く優劣がつけられない、重要な情報じゃないかな・・・。
そのときから、アヌビスは全ての情報が等価であると考えてしまうようになりました。
天秤にかけるものなどないのだ、と。
頭の中にあった情報は、気付かないうちにでも、順位付けがされているもの。
アヌビスの頭の中は色々な情報が飛び交い、その多くは重要度が上げられてしまいました。
それに比例して、彼は、何だか頭の中の何かの水位が上がったような気がしました。
朝、アヌビスが目覚めると、布団から出るには少し辛い気温であることに気付きました。
すると、今日は寒いという気持ちに追随して、今日の日替わり弁当がささみフライであること、スピードワゴン×安達祐実、仕事の会議が今日あること、アウルベアが卵生であるらしいこと、などが思い出されました。
アヌビスは、思わずぽつりとつぶやきました。
「この世界の空気は、とても濃厚だったんだ。ぼくは、おぼれそうだ・・・。」

ペンと剣と司会業

「うわぁ!!。今回の怪獣は手ごわい!!」
「然しものヒトシくんも、今回は危ないかも知れない・・・。」
「ああっ!!。やっぱり不利みたいだ!!。やられてしまう!!。」
「おい、あれを見ろ!!。」
「か、輝いている・・・!!。」
「あ、あれが、伝説のスーパーヒトシくんなのか・・・。」
「いけー!!。スーパーヒトシくん!!。気持ち3倍だ!!。」
「待て。怪獣の方も仲間を呼んだぞ!!。」
「いかにスーパーヒトシくんでも、この数では・・・。」
「おい、あれを見ろ!!。」
「今度は、超スーパーヒトシくんが来てくれた!!。」
「待て。怪獣の方もじゃんじゃん来てるぞ!!。」
「ヒトシくんも負けてない!!。今度はメカヒトシくんだ!!。」
「超合金ロボヒトシくん!!」
「続いて新世紀ヒトシくん!!」
「ヒトシくんV3!!」
「ヒトシくんマン!!」
「ネーデルヒトシくんは掃いて捨てるほどだ!!」
「ヒトシマン!!」
「ヒトデマン!!」
「海辺のヒトシ!!」
「不思議の国のヒトシ!!」
「ヒトシ狩り!!」
「でも、怪獣もてんこもりだ!!」
「あっ、最後に輝くあのいぶし銀は!?。」
「クサノヒトシだ!!」
長官「ヒトシくんたちのボス、クサノヒトシが来てくれたのだね?。」
部下「はい。むやみな筋肉で、勝てるかと。」
長官「では彼に、「どこか別の星にでも行ってから続きをするように」と、双方を説得するように伝えてくれ。」

「次は現金でお願い。」

部屋の前で、猫が悲しそうに鳴いている。
猫のきもちが全て分かるわけじゃないけど、この声のは、分かる。
ドアを開けると、「ミミ」が靴下をくわえて座っていた。
猫を飼ったことがない人でも、「猫は自分がとった獲物を、飼い主に見せに来る」というような話を聞いたりしてはいないだろうか?。
たぶん、それなんだろう。
ねずみやら何やらがあまりいない昨今、猫たちは靴下や帽子でなんたらレーションを発散しているのだろう。
だが、ある人はこんな風に解釈していた。
「自分の獲物を見せに来るというよりは、その獲物をあげようとして、鳴いて呼んでいるんだよ。」
こっちが本当なら。
僕ら、養ってもらってるやん。

走ると、気持ちいいな。

よく買うジュースに、パック状のものがある。
横を見ると、なにやら「真ん中を持たないでください。中身が出ることがあります。」みたいなことが書いてある。
因果、というものがある。
過去の行いが「因」として、それが「果」として表われる。
家庭、教育現場などで「行き過ぎた規制」が取り上げられることは既に多い。
「あれしちゃいけません。」
「これしちゃいけません。」
こんな時代だから。
「真ん中を持ってみてください。」と書いてほしい。
「真ん中を持ってみてください。中身が出ることがあります。」
文章的にも大丈夫だ。
そして、真ん中を持ってみて、中身が出ちゃえばいいのである。
「あっ。真ん中持つと、中身出るんだ・・・。」
まぁ、ちょっといきなりだから、
「真ん中を持ってみましょう。中身が出ることがあります。」
でもよい。
ややプラス思考だ。
とにかく、こういう危険の少ないところから因果を学ぶべきなのだ。
例を挙げてみよう。
「一度にスプレーし過ぎたら、べたべたになるんだ・・・。」
「肌についた時、速やかに洗わなかったら、こんなんなるんだ・・・。」
「目に入ったとき、すぐに洗い流さなかったら、こうなるんだ・・・。」
「爪きりで硬い針金を切ろうとしたら、こうなるんだ・・・」
「動物園の猿のオリに接近したら、こうされるんだ・・・」
「はさみの刃の間に指を置いといたら、・・・・・・・・・・・・」
「海辺で沈みゆく太陽を見ていたら、こんな気分になるんだ・・・」
・・・
おーい。
やっぱり規制も必要ね。
文中の人。
一緒に海辺、走るか。