人の決める限界

昔、メロディ限界説というものがどこかの国で流行ったそうな。
人間、あんまり音楽いっぱい作ったんで、もうそろそろかぶるんじゃね?、みたいなものだと思います。
この説が流行ったのがもうずいぶん前であることから分かるように、実際には限界なんてまだまだらしいです。
まぁ、ドだかレとかが半分高かったり低かったり、それが強かったり弱かったり、なんとか長調だったり、それが無数に組み合わさったり、猫なで声だったり弦楽器だったりと、そう簡単に食いつぶされる感じではないことは明白です。
「音楽として成立する」条件を考えても、「限界」はなさげ。
でも、誰しも「何か聴いた曲だな・・・」とかは結構あるはず。
皆さんはまだまだ蒙古斑世代だと思うのですが(←失礼)、そのくらいの期間でも「同じような曲を聴いた」という経験をするわけです。
「音楽として成立する」という条件に加え、「その世代にウケるもの」条件が入ると一気にしぼられてしまうのかもしれません。
この辺が「メロディ限界説」が流行した一因かも。
ちょっと前、角界では「体力の限界説」が流行しました。
今、僕は「起床限界説」が最有力。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です