オバさんが「私がおばさんになっても」を歌ったら。

「ターゲットを見つけるなんて、俺には他愛もないこと。今日も俺のサザンアイズが獲物を追い込む・・・。誰だっ!!。」
そんな僕は電車の中。僕なので、サザンアイズといっても写楽君です。ちなみに5mくらい先にいる女子高生は和登さん。獲物は座席の制服野球少年。「誰だっ!!。」は装飾です。
わからない人はしょうがないけど、朝早い電車は、混みます。鮒寿司なみにギュウギュウ。ひしめき合ってる。牛が5匹くらい詰まっているってことです。
どうにか座りたいので、僕のように「座っている、もうそろそろ目的地に着きそうな人」を何気にサーチ、その前を陣取りあとがまを狙う人は結構多いと思います。
まぁ、あんまり当たらないんです、これが。こんなときの僕の背中は、哀愁を帯びてると言えるかもしれない。
哀愁っていうと、悲しい感じがするのはもちろんですが、何だか「わかってる男、女の悲しみ」を表現しているように感じます。
このように、哀愁をかもすというのは結構素敵なサムシングかもしれませんが、ドラマのような哀愁はなかなかチャンスがないと思われます。
しかし、案外簡単。哀愁を漂わすことができるのはトシちゃんだけ、というわけではありません。
1.牛乳瓶のふたを開けるときに、うわっつらだけ剥げた。
2.よくエロ本を買いに行く本屋に「毎回ありがとうございます」と言われた。
3.一発芸で「狂牛病になった牛」をやろうと思っていたら、前のヤツが「生まれたての小鹿」をやってた。
4.美少女フィギュアをしまう場所がなくなってきた。
5.もうなにもかも、基本的にはオバさんになってた。
このようなことになっていて、それに気づいたとき、「昭和枯れすすき」をぼそぼそ歌いましょう。
哀愁もしくは哀愁のクリティカルポイント越え、間違いなし。

「オバさんが「私がおばさんになっても」を歌ったら。」への1件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    哀愁は加齢臭と比例関係。これを証明しなさい

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